東急東横線が多摩川の鉄橋を渡る時、取水堰(ぜき)が見える。一九七〇年代、洗剤の白い泡がぶくぶくとわき上がる異様な光景が広がっていたのを覚えている。水の色はどす黒く、近づくと異臭が漂った▼下水道の整備が人口増に追いつかず、生活排水が直接流れ込んでいた高度成長期の話である。下流では、環境基準値の十倍近いほど水質が汚濁していた場所もあった。やがて下水道の整備が進み、死んだ川はよみがえった▼清流度を測る目安となるのはアユの遡上(そじょう)だ。かつて、泡にまみれたその堰で、国土交通省が今年三〜六月に調べたところ、二〇〇六年に調査を開始してから、最高となる約百九十六万匹(推計)だったと、先日発表された▼京浜河川事務所によると、アユの復活は遡上しやすいように堰の魚道が整備されたことなど、水質が向上した以外にも複合的な要素が重なっているという▼上ってきたアユは秋に中下流の浅瀬で産卵。ふ化した稚魚は東京湾で冬を過ごし、春から初夏にかけて故郷に戻ってくる。これからは産卵場所を求めて、川を下っていく時期だ▼多摩川のアユは味や形が良く、幕府に献上される「御用鮎(あゆ)」の一つだった。姿が消えるまで、アユを食べさせる料理店は流域に多かったという。屋形船で鵜(う)飼いを楽しみながら、天然物を堪能する。そんな時代がもう一度やってくるのが待ち遠しい。