ちいさい秋がようやく見つかって、夜長に物語が恋しい季節。語り部は、ほら、そこにいて、あなたとの縁を待っています。山里でも、都会でも。
タイトルは「加子(かし)母人(もじん)」。旧岐阜県加子母村(現中津川市)の若い有志が一年半かけて聞き取った、村のお年寄りたちの肉声です。
裏木曽の静謐(せいひつ)な美林、すそ野に広がる里山の風景は、都会人の心を引きつけてやみません。
◆人生をぎゅっと詰め込んで
二〇〇五年二月、平成の大合併で中津川市に編入されたあと、主に都会から越してきたピアニストや陶芸家、農家などが八人で「かしも通信隊」を結成し、村広報の発行を引き継ぎました。大好きな村の個性が消えていくのを恐れたからでした。
「加子母人」はいわばその別冊で、「加子母村に生きて来た人たちの人生」という副題がついています。A5判、百十三ページ。ことし三月の発刊です。
明治四十三年生まれ、ことし十二月で百歳になる最長老の田口フジエさんを筆頭に、七十代半ばまでの十二人、山里の四季とともに歩んだ長い長い人生が、ぎゅっと詰まった一冊です。一人最低、四時間かけて聞き取りました。
通信隊員の一人、善田奈緒さん(30)は東京生まれ。京都の大学で林学を学び、研修で訪れた裏木曽の暮らしに魅せられて、八年前、旧村役場に飛び込みました。
聞き書きに参加したのは「お年寄りと腰をすえて話し込む口実がほしかったから」でした。石油文化を受け入れる以前の山里の暮らしや風景が、やがて永遠に失われてしまうのではと、強い焦りがありました。
勇気を出して扉をたたくと、古老たちは一様に「何も話せることはないでよお」と困ったような顔をして、それでも快く迎え入れてくれました。漬物をかじりながら聞いた話は、新鮮でした。
近ごろ森では、腹をすかせたシカやクマ、イノシシなどの獣害が深刻になっています。さぞかし昔は獣たちがわが物顔に歩き回っていたかと思いきや、加子母の山は人だらけ。燃料になるコナラの林や肥料にされる萱場(かやば)がきちんとすみ分けられて、手入れされ、作業に入る人間の姿が絶えず、動物たちが付け入る余地などありません。子どもたちも週に三度は、学校が終わったあとで柴(しば)刈りなどのお手伝い。炭焼き窯が三百もあったというから驚きでした。
◆モッタイナイは当たり前
昔の人は谷筋の至るところに、知恵を絞って名前をつけました。山仕事には地名が欠かせません。内緒で畑を作ったところは「隠し畑」、タラの芽がなめるほど出る「舐(な)めダラ」や、石がごろごろ転がっていて「石遊場(いしあすんば)」と。地図には載っていませんが。
人と森が今よりずっと親密だった時代のリアルな里山の情景が、善田さんの心の中に、くっきりと刻まれました。
「加子母の財産は山」と、善田さんが訪ねた古老は力を込めました。しかし、それに勝る宝こそ、古老が語る言葉の一つ一つです。
ケニアから来たノーベル平和賞受賞者に気に入られ、「モッタイナイ」が流行語になりました。でもお年寄りたちの反応は「当たり前だわ」と冷ややかでした。
ことしは国連国際生物多様性年で、生物多様性条約第十回締約国会議(COP10)の名古屋開催を来月に控え、「つながるいのち」「いのちの恵み」が、にわかに盛り上がりを見せています。またぞろ「何をいまさら」というつぶやきが、聞こえてきそうな風向きです。山里だけではありません。街なら街で「もったいない」や「いのちの恵み」に向き合いながら、きょうまで暮らしてきた人ならでは、の。
二百歳の「高齢者」の“存在”が、世間を騒がせました。長寿の価値は、長さだけではありません。年齢という包装紙にくるまれた人生の厚みこそ、宝です。戸籍の中で永遠に年を重ねる“幽霊”たちは、長さを測り、寿(ことほ)ぐことに気を取られ、厚みの価値を大事にしない「無縁社会」に、警鐘を鳴らしに来たのでしょうか。
「アフリカなんかまだ学校へも出られん子どもも大変あるでしょう。本当にかわいそうやね。だから、私は毎晩、どうか世界中が平和になってもらえんかと思って、神様の前で拝むよ」
◆宝の言葉を心にとどめ
「加子母人」が伝える最長老、田口フジエさんの言葉のかけら。こんな言葉をじかに聞いてみませんか。扉をたたいて宝の言葉や知恵を引き出して、心にとどめ、暮らしの糧にすることが、本当の「敬老」なのだと思います。
この記事を印刷する