<自分の実力以下の地位につくと大人物に見えるが、自分の実力以上の地位につくとしばしば小人物に見えてしまう>。辛辣(しんらつ)な人間観察で知られる十七世紀のフランスの作家ラ・ロシュフコーの箴言(しんげん)だ▼菅改造内閣の閣僚や党幹部の顔触れを拝見しつつ、「大人物」を探してみる。火中のクリを拾って幹事長に就任した岡田克也前外相は代表経験者だが、政権党の幹事長は実力相応のポストか▼小沢一郎元幹事長が代表代行を受ければそれこそ「大人物」にふさわしかった。首相の説明では、「選挙疲れ」が固辞の理由というが、信じる人はだれもいまい▼こうして見ると、片山善博前鳥取県知事の起用、馬淵澄夫国交相の抜てきをのぞくと、意外性の少ない人事だった。その分、際立ったのは政権の露骨な「脱小沢」の姿勢だ。小沢グループの入閣はゼロ。小沢氏を支持した二人の大臣は閣外に去った▼若手中心の小沢グループの議員は副大臣や政務官で取り込む作戦のようだ。代表選で勝利した後に約束した「挙党態勢」はどこへやら。巨大な党内「野党」を挑発する人事で、「ねじれ国会」を乗り切れるのだろうか▼いま、国の危機は党内抗争を許す状況にはないのに、世論の風頼りの「脱小沢」路線に傾く首相。「大人物」こそ浮かばなかったが、実力以上の地位についた「小人物」はすぐ浮かんだ。あえて名は伏す。