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Astandなら過去の朝日新聞天声人語が最大3か月分ご覧になれます。(詳しくはこちら)
ある時代、「型破り」はほめ言葉だった。逆に、無難を旨とし、勢いと遊びを欠いたデジタルの世からは、破壊のエネルギーにあふれた初代林家三平の高座が恋しい。早いもので、「昭和の爆笑王」が鬼籍に入って明日で30年になる▼若い頃の古典落語はとっちらかり、噺(はなし)がまとまらない。ところが、生来の明るさゆえにそれがまた受けた。大御所たちの渋面をよそに、寄席での人気はテレビの登場で全国区となる▼世相小話をつないで、歌あり客いじりありの異形の高座。途中で入る客には「若だんな、いらっしゃいまし。そろそろ来る頃だってうわさしてたんです」と脱線した。奔放な芸に比べ、笑わせるための準備は念入りで、時事ネタを求めて7紙を購読していたそうだ▼出番前、共演者と談笑していても父親の手は冷たく汗ばんでいたと、次男の二代三平(39)が『父の背中』(青志社)に書いている。はぐれぬよう楽屋でずっと手を握っていた者だけが知る緊張だ。指先から血の気を奪ったのは「爆笑の使命」の重さだろう▼54歳で亡くなる何年か前、有楽町の歩道をスーツ姿で走る初代を見た。生放送の掛け持ちだったのか、急ぎながらも、通行人に愛敬を振りまく芸人魂に感心したものだ。芸風とは逆に、きちんとした人とお見受けした▼型にとらわれず、目の前の客を笑わせたい。初代三平の誠心誠意は、皆が明日の幸せを素朴に信じた時代に呼応する。爆笑王への郷愁、詰まるところ右肩上がりへの憧(あこが)れらしい。懐かしむつもりが、ついつい無い物ねだりになった。