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Astandなら過去の朝日新聞天声人語が最大3か月分ご覧になれます。(詳しくはこちら)
駅への途中にあるお宅の、道路にまでしだれている萩に、紫の花がつき始めた。きのうの朝は、その葉が雨滴をのせて光っていた。夜の雨は、猛暑でほてりにほてったものみなを、静かに冷ますように降った▼「けさの秋」という季語がある。もう夏のものとは思われない気配に、ふと気づく朝をいう。例年ならお盆過ぎだろうが、今年は遅かった。東京だと、それはきのうだったようだ。身を潜めていた秋が急に姿を見せたような空気になった▼青春から朱夏をすぎて、秋は白秋。〈秋野(しゅうや)明らかにして秋風(しゅうふう)白し〉の一節が中国唐代の詩人、李賀にある。その秋風を、日本では「色なき風」と表した。夏の湿気が払われて、透き通って寂(さ)びていく景色。もともと風に色はないが、そこに「色なき」を見るセンスに頭が下がる▼白雲愁色の季節でもある。〈明月帰らず碧海(へきかい)に沈み 白雲愁色蒼梧(そうご)に満つ〉は、遣唐使だった阿倍仲麻呂の「死」を李白が悼んだ一節だ。仲麻呂は帰国の船が難破して沈んだと思われたが、今のベトナムに漂着し、唐に戻って異土で没した▼〈天の原ふりさけ見れば春日なる三笠の山に出し月かも〉はその帰路につく前の望郷の歌として知られる。だが作家の竹西寛子さんは、「唐土(もろこし)に心を残している人の歌」でもあると見る。今ふうに言えば「二つの祖国」だろうか。仲麻呂は唐にあること実に54年におよんだ▼時は流れ、眺める月は昨夜が上弦だった。この半欠けが満ちていって、中秋の名月になる。待ちあぐねていた秋へ、ようやく季節が傾斜していく。