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民主党代表選で求心力を回復した菅政権の意地を、市場に示す意義があったといえよう。15年4カ月ぶりに1ドル=82円台に突入した外国為替市場に対し、政府・日本銀行が6年半ぶ[記事全文]
民主党代表選を通じて、いまの政党政治の仕組みに潜む不具合が改めてくっきり見えた。そのことを考えたい。第一に、一政党の議員や党員だけで事実上、首相を選ぶことになってしまっ[記事全文]
民主党代表選で求心力を回復した菅政権の意地を、市場に示す意義があったといえよう。
15年4カ月ぶりに1ドル=82円台に突入した外国為替市場に対し、政府・日本銀行が6年半ぶりの円売りドル買い介入に踏み切った。
急速に進んだ円高ドル安の勢いをくじくための実力行使である。行き過ぎた投機を抑えるとともに、輸出産業と景気に悪影響が広がることを阻止するのが狙いだ。
市場では円買いの思惑が渦巻いていた。円の最高値は1995年4月の79円75銭だが、「その近辺まで介入はないだろう」「菅直人首相は介入に消極的」といった見方が出ていた。一本調子で上がりかねない相場の機先を制した介入は驚きを呼んだ。当面は市場の空気を変える効果もありそうだ。
日銀の白川方明総裁は介入を受けて「強力な金融緩和を推進する中で、今後とも潤沢な資金供給を行っていく」との談話を発表した。介入で市場に出回った円資金を吸収しない「非不胎化」で日銀が金融緩和を徹底するのであれば当然だろう。何より政府と息の合ったところを世界各国と市場関係者にアピールすることが大事だ。
今回は日本の単独介入で、欧米各国と協調したものではない。しかも一連の円高の流れは、欧米景気の後退懸念を受けた消去法的な円買いの結果だ。ドル安やユーロ安のうねりを力ずくで反転させるのは難しい。
遠からず再び円高機運が盛り上がるかもしれない。政府・日銀は介入という選択肢も示しつつ、したたかに市場と対話していくしかない。
同時に、国際的な理解を得る努力も怠ってはならない。輸出拡大への思惑から自国通貨安を容認する欧米各国の姿勢は変えにくい。だが、大恐慌期のような通貨安競争になれば、国際協調で危機を克服するというG20体制の土台が失われる。G7やG20の場で為替安定の重要性が再確認されるよう日本は汗をかかないといけない。
米国などは輸出依存の経常黒字国の内需不足が世界的な不均衡を生み、金融危機にもつながったと問題視している。人民元相場の厳重な管理を解かない中国が主に念頭にあるが、日本も経常黒字を維持してきた。
やはりここは内需をテコにした明確な景気回復と経済成長の戦略を急いで具体化するほかない。これは円高を助長する日本のデフレ体質を改める王道でもある。菅首相は、続投を足がかりに成長戦略への取り組みを一刻も早く再起動させねばならない。
「介入を」と政府をせき立ててきた産業界も、相場変動の影響を軽減できるよう、自己改革に努めてほしい。政府でも民間でも聖域のない変革を貫くことが難局の打開につながる。
民主党代表選を通じて、いまの政党政治の仕組みに潜む不具合が改めてくっきり見えた。そのことを考えたい。
第一に、一政党の議員や党員だけで事実上、首相を選ぶことになってしまっていいのかという疑問である。
昔なら不思議とも感じなかったろう。自民党の一党支配が続いたころは首相は党総裁選の結果で決まり、党員でもない有権者はかかわれなかった。
だが、いまは違う。有権者が総選挙を通じて政権を託す政党を選ぶ。各党の党首は、その党が推す首相候補だ。有権者が、政権党とともに首相も直接選ぶ政権交代時代である。
それが有権者を政治に近づけ、観客から名実ともに主権者の位置に押し上げる一歩となるはずだった。
にもかかわらず、自分たちが選んだはずの首相が、政党側の都合で次々に代わる。小泉後の自民党政権、政権交代後の民主党政権で起こったことは、そういう理不尽である。
これでは政権選択選挙は名ばかりとなる。急いで改めなければならない。
たとえば党首の任期を総選挙から次の総選挙までとするのは一案だろう。それなら今回のように、首相就任後わずか3カ月で「任期が来たから」と選び直す事態は避けられる。
だれが首相にふさわしいか、党首選の後の総選挙で有権者が審判を下す。
あるいは、首相でいる間は党首の任期を停止することも一つの手だろう。
第二に、民意と国会議員の意思とのずれをどう考えるか。
小沢一郎前幹事長は、世論の逆風を受けながら、国会議員の支持を得て激しい戦いを展開した。
それ自体をおかしいとはいえないが、問題は議員の「数」の集め方だ。
選挙や資金の世話をして集めるのでは「派閥の論理」そのものだ。その力の源泉が執行部が持つ公認権だったり政党交付金という税金だったりするなら、これも理不尽というほかない。
公認や資金配分について透明なルールをつくり、恣意的(しいてき)な運用を防がなければならない。
世論に迎合せよと言うのではない。支持率が下がると人気の出そうな首相に代える昨今の風潮には問題がある。
世論の支持が低くても、確信を持っているなら説得を試みればいい。
民意とは本来、その時々の気分や印象ではなく、議論を通じ時間をかけて醸成されるべきものだ。有権者に説明し、対話を重ね、民意形成を促すことこそ、政治家本来の役割である。
そのためには、党首選にできるだけ長い期間をかけ、説得力を競う仕組みとすることが望ましい。
これらは20年来の政治改革で、手つかずのまま残されてきた課題である。ここを改めれば、日本の政治も少しは落ち着きを取り戻すのではないか。