どっちが勝っても負けても早晩、時代の歯車がまた、きしみ音を立てて回りそう。そんな気がしてなりません。ヒートアップの民主党代表選の話です。
勝者が内閣総理大臣になる次期党代表の選出はあさって十四日。
党員・サポーターや地方議員の投票は終わっていて、残る“大票田”国会議員の票読み作業がメディアでも大詰めです。
現職の菅直人氏に実力派ナンバーワンの小沢一郎氏が挑む迫力ある構図は皆さんご存じの通り。
両陣営の激しい攻防に、投票権はなくとも一般国民の世論動向がまとわり付いて、優劣判定に作用しています。今回の特徴です。
◆ともに後のない戦いに
新聞やテレビの世論調査で目を引くのは、どちらが首相にふさわしいかの設問の回答で、菅氏が小沢氏を圧倒していたことでした。
政権党の党首選びを世論動向が決定付けた例は二〇〇一年にあります。自民党政権下の総裁選。
国会議員の勢力比では勝ち目のなかった小泉純一郎氏が、圧倒的な世論の後押しで橋本龍太郎氏を退けた選挙でした。
メディアの世論調査結果を映して党員・党友票が雪崩を打ち、議員票もその流れに引きずられるしかなかったのです。
民主の代表選にもややその傾向が見られます。それが各種メディアの「菅氏やや優位」報道につながっているのですが、役者が違うというか小沢陣営は、最終盤まで予断を許さぬ熾烈(しれつ)な議員票争奪戦に持ち込んでいます。
菅氏にも小沢氏にとっても、もう後のない戦いなのでしょう。
負ければ影響力を著しくそがれます。場合によっては退場させられるかもしれないのですから。
鳩山由紀夫前首相を担ぐトロイカ体制下で互いに抑えてきた、両者の出自や政治体質、手法の違いが、激戦の中であらわです。
◆戦後政治の側面を体現
まずは小沢氏。潤沢な資金で数を養い、数は力、力は正義、の論理が際立った田中角栄型の政治、言い換えれば戦後保守政治の一類型を継承している人です。
「壊し屋」と揶揄(やゆ)されもしながらこの四半世紀、政局の一方の軸に存在し続けた。なかなか常人のできることでありません。
そして、飽くなき権力志向で小沢氏に引けをとらない菅氏。この人物を語るなら、自民一党支配と高度経済成長下の市民運動。菅スタイルのこれが原点でした。
野党的な言辞であれば、めっぽう鋭い半面で、行政府を統括するとなると、大局観を欠いて、アナーキーな傾向へ走りがち。
過日、時局談議の会場で、投票権があればどっちに?と伺いました。対象は銀行マンOBや主婦も含む政治意識の高い十数人。
想像以上に政治とカネへの反発が強くて「小沢票」はゼロ。かといって菅氏への信頼度もゼロ同然で「こっちの方がまだまし」の結論に、話の腰が折れました。
交わされた主な意見をご披露しておきます。「小沢氏側近の忖度(そんたく)政治が気にくわない」「グレーをシロだと言い張る人物をトップにしてよいのか」「日本の国際競争力低落にどっちも危機感がなさ過ぎる」…。
逆風もものかは、小沢陣営が国会議員票の大量取り込みで逆転勝利したとなれば、その政権は国民世論との甚だしいねじれとどう折り合いをつけるか。信なくば立たず。喫緊の課題でしょう。
一方の菅陣営も積極的な支持を得ているわけではけっしてありません。そこが弱点。
世論調査が語ります。コロコロ首相を代えては対外的にもみっともない、と。そんな追い風がいつまでも吹くはずはありません。
それにもし、議員票の半数も獲得できないとなれば、政権基盤そのものが危ぶまれましょう。
こう見てくれば、どっちが勝っても政権の維持運営は困難を極めそうです。戦い終わればノーサイドだとか、敗者も要職に就くのだとか、のんきな話もあるようですが、そんなばかな。
「数は力」の小沢神話が崩れればなおさらのこと、市民運動出身の現職首相が敗れても、これはもう、戦後政治の残滓(ざんし)が消滅するということになりませんか。
言葉を換えれば時代が旧から新へと区切られつつあるのです。そんな意味を含んだ政権党の代表選を私たちは見ています。
◆いでよ次世代リーダー
歴史的な政権交代から一年ちょっと。参院選の波乱で安定には程遠い政治状況がなお続きます。
代表選後を見通すのは困難ですが、勝者が誰であれ、変化のうねりに翻弄(ほんろう)されることでしょう。
時代は次世代リーダー登場を促します。人材はいるのかどうか。そこが大問題なのですけれど。
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