HTTP/1.0 200 OK Server: Apache/2 Content-Length: 17346 Content-Type: text/html ETag: "1aa4a-43c2-f19eef00" Cache-Control: max-age=5 Expires: Sun, 12 Sep 2010 02:21:42 GMT Date: Sun, 12 Sep 2010 02:21:37 GMT Connection: close
Astandなら過去の朝日新聞天声人語が最大3か月分ご覧になれます。(詳しくはこちら)
原作は吉田修一さんが本紙に連載した小説なので、手前みそをお許しいただく。きのう公開された映画「悪人」を見て、人を善悪で二分する愚かしさを思った。私たちは善にもなれば悪にもなる▼主人公の土木作業員祐一は女性を殺(あや)めてしまう。情状はさておき悪であり、被害者にすれば鬼畜にも等しい。ところが、出会い系サイトで祐一と知り合った店員光代は、悪を承知で一緒に逃げる道を選ぶ▼ひとまず光代に寄り添ったこちらの「悪人観」だが、結末でまた揺らいだ。李相日(リ・サンイル)監督は、観客も光代と一緒に迷えばいいと思ったそうだ。妻夫木聡さんは好青年のカラーを一新する熱演、平凡な女性を非凡に演じた深津絵里さんは、モントリオールの映画祭で賞に輝いた▼作中、娘を殺された父親が絞り出す。「今の世の中、大切な人もおらん人間が多すぎる」。大切な人。父親によれば、その幸せを思うだけでうれしくなるような人である。一人でもいれば、身勝手に悪を通せるものではない▼見終わって、短い詩が浮かんだ。〈ルームライトを消す/スタンドランプを 消す/そうして/悲しみに灯を入れる〉。杉山平一さんの「闇」だ。人は時に、孤独の闇に灯をかざし、打ち砕かれた己と向かい合う。大切な人の出番である▼見境のない殺傷が絶えない。ふとした出会いが止めたであろう悲劇の数々。「なんでもっと早う光代に会えんかったとやろ」。主人公の悔いは、多くの「悪人」に通じる思いだろう。人の本性を一字にすれば、善でも悪でもなく、悲か哀となろうか。