「日本は、ひょっとしたら世界の長寿モデル国になれるかもしれない」。そんな期待を打ち砕いたのが全国で続々出てくる高齢者の所在不明問題です。
「人間は百二十五歳まで生きられる」とは明治、大正期に宰相を務め、東京専門学校(早稲田大学の前身)をつくった大隈重信の持論でした。早大は建学の父に敬意を表し三年前に創立百二十五周年を盛大に祝いました。大隈は一九二二(大正十一)年に八十三歳で死去しましたが、後世こんなに多くの超高齢者が「現存」するとは夢想だにしなかったでしょう。
◆目立つ“負の人間性”
戸籍法では家族・親族に「死亡事実を知った日から七日以内」の届け出を義務付けています。
高齢者の所在不明問題は多くが「実害なし」とはいえ、行政の怠慢、家族の崩壊だけでなく、日本が世界のお手本になる長寿モデル国たり得るのかという課題を私たちに突きつけています。
特に親の死亡を承知で家族がその年金を不正受給し続けていたとすれば、近年問題になった高級料亭の料理使い回し、産地偽装のうなぎ販売、汚染米の不正転売などと同様に「バレなければ」といった“負の人間性”が、経済不況、格差社会、生活苦などをバックに日本全体にまん延し始めているのではないかと危惧(きぐ)されます。
「日本人は礼儀正しい。ただし二種類の人間がいる」。一つは武士階級や日本橋あたりの商人のように毅然(きぜん)とした日本人、礼儀正しい日本人、おっとりした日本人。もう一種類は横浜の居留地の辻や西洋館の軒下にむらがってバクチを打ったり、西洋人がやる生糸相場のおこぼれを拾って暮らし、小さな利に目を変えて取り合いする人たち。こすっからくて、品がなく油断もすきもない日本人。
◆モデルは自らの手で
幕末、横浜に来た西洋人のこんな感想を作家・司馬遼太郎氏は著作「『明治』という国家」で紹介しながら、法による国民国家をつくりあげるには「三代かかるだろう」との福沢諭吉の予見にも触れています。
明治維新から百四十年余。司馬氏は昭和が「左右のイデオロギーが充満して国家や社会をふりまわした時代」だったのに対して明治は「リアリズムの時代だった」と高く評価しています。
ただ明治期には「富国強兵」など近代化のモデルが欧米に実在しました。ものまね上手という日本人の国民性も手伝って西洋に追いつく国のかたちが形成されていきました。ところが平成の今の世には、まねるモデルが見当たりません。私たち日本人自身の手で、ポスト工業化の福祉国家像をつくらなくてはならないのです。
税制上の「標準世帯」は長いこと夫婦と子ども二人の四人家族とされてきました。だが国民生活白書の推計だと、今年中にもこの「標準世帯」と「単独世帯」がほぼ同率になり、二〇三〇年には「おひとりさま」の単独世帯が「標準世帯」になる見通しです。
これでは家族の力に期待するほうが無理かもしれません。アジアには、セーフティーネットとしての家族力が働いている国もあります。たとえばフィリピンでは九七年のアジア通貨危機の際、「最も信頼できたのは家族と親類による伝統的な支援システムだった」という研究報告があります(白鳥令編「アジアの福祉国家政策」)。父親は土地を担保に入れ、母親は宝飾品を質入れするなどして、嵐が過ぎるのを待った事例が多かったと。
その一方、年老いた親の面倒をみる意識は、欧米に比べ日韓両国では弱いとの調査結果が出ています。内閣府が昨年、日、韓、米、英、仏の五カ国で行った青年意識調査によると、「どんなことをしてでも親を養う」と答えた若者の比率は英66%、米63%、仏50%に対して韓国35%、日本28%で、わが国が最低という結果でした。
「父母の年は知らざるべからず。一は則(すなわ)ち以(もっ)て喜び、一は則ち以て懼(おそ)れる」(父母の年齢を忘れてはならない。長生きを喜び、老い先を気遣うために=論語)といった儒教精神は、望むべくもありません。それが日本の近代化、工業化、核家族化がもたらした副作用だとすれば、どのようにして長寿社会における日本人のモラルを立て直すかも福祉制度の再構築と同様に大きな宿題です。「昔に返れ」では効果はないでしょう。
◆求められる「絆教育」
尊厳、思いやり、親切、正直といった、かつて外国人が称賛した日本人の特性を取り戻す努力が欠かせません。そのためには家族数の多い少ないにかかわらず人間の絆(きずな)という面で「個」の尊重と「共生」とは車の両輪であるとの精神風土を築く社会教育が求められているのではないでしょうか。
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