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1934(昭和9)年の秋、関西で3千人の命を奪った室戸台風は東北に再上陸し、青森のリンゴ農家を打ちのめした。土地に見切りをつけ、その一家が北海道に渡らなければ、戦後の大相撲は何人かの看板力士を欠いたはずだ▼82歳で逝った名横綱、初代若乃花の花田勝治さんは、両親が出直した室蘭で長男として大家族を支えた。200キロの鉱石を天秤棒(てんびんぼう)で担ぎ、岸壁と船を結ぶ板の上を運ぶ毎日。荷役で鍛えた体は近辺の村相撲を席巻し、東京に聞こえるまでになる▼入門は18歳と遅かった。北の大地では、稼ぎ手を送り出した親と弟妹たちが出世を待っている。戦後の食糧難の中、空腹に耐えて滝の汗を流したのは、関取になるまで帰らないと決めていたためだ▼美しい土俵だった。軽量ながら、全身これ筋肉。上体の動きに連動して、太ももからふくらはぎに彫刻のような陰影が走った。「栃若時代」はテレビの普及期に重なり、スピード感あふれる技の出し合いが相撲ファンのすそ野を広げた▼断髪式前の土俵入りは、太刀持ちが大鵬、露払いが柏戸という豪華版。よき時代だった。22歳下の弟は名大関貴ノ花、その息子の若貴兄弟はそろって綱を張った。青森から北海道を経て、花田家は両国に太い根を下ろす▼数々の逆境を乗り越えた「鬼」にも、「胸でうずき続ける痛切な傷痕(きずあと)」があった。綱とりの場所、煮えるちゃんこ鍋に落ち、4歳で亡くなった長男勝雄ちゃんのことだ。角界の現状を栃錦と嘆く前に、時を忘れて抱きしめているだろう。間もなく命日である。