ハリケーン・カトリーナが米南部を直撃してから五年になる。自然災害の恐ろしさだけでなく、対策が後手に回った政権が信頼を損なう現実も浮き彫りにした。教訓は生かされているのか。
水没した米ルイジアナ州ニューオーリンズ。緊急避難所となったスーパードームで救助を待つ被災者たちの憔悴(しょうすい)しきった姿は、未(いま)だ多くの人の心に焼きついていることだろう。
メキシコ湾で急激に暴風雨化し、二〇〇五年八月二十九日に上陸した超大型ハリケーン・カトリーナは、ミシシッピ川河口に広がる海抜ゼロメートル地帯に位置する市を直撃した。堤防決壊で市の80%が冠水、死者は少なくとも千六百人とされる。
最も豊かな筈(はず)の超大国で、幾万もの被災者が放置され、略奪すら防ぎ得なかった姿が世界に晒(さら)されたことに、米国民は二重の衝撃を受けた。「テロとの戦い」一辺倒だったブッシュ政権の対応は後手に回り、「内政軽視」が露呈した。政権は信頼を損ない、翌年の中間選挙では民主党が躍進した。
この秋に中間選挙を控えたオバマ政権が置かれた状況に重なる面がある。「オバマ政権のカトリーナ」とも指摘されていたメキシコ湾の原油漏れはようやく封じ込めに成功した。しかし、最大課題の雇用状況は改善しておらず、低下した支持率は回復する気配はない。イラク撤退、中東和平など外交問題で得点を試みているが、国民の心には届いてはいまい。
大規模な堤防強化工事など、現地の復興計画は進行中だ。他地域に避難し、四散した音楽家たちも徐々にジャズの聖地へ帰り始めているともいう。四十八万人だった市の人口は推定三十万を超えるまで回復しているとの専門家の見通しもあるが、正式データがこの年末の国勢調査まで判明しない、という状況自体、被害の大きさを物語る。
逃げ遅れた被災者の多くは、自動車などの移動手段を持てない貧困層、高齢者だった。災害は、社会の抱える潜在的な懸案をあぶり出すことも想起したい。
人知の限界を試すように、天災は忘れたころにやってくる。風速、暴風圏などで伊勢湾台風に匹敵したともされるカトリーナの事例は、日本の海抜ゼロメートル地帯での災害対策への警鐘でもある。決して他人事(ひとごと)ではない。政治不信の増大が、被害の拡大を生むようなことがあってはならない。あらためて肝に銘じたい。
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