HTTP/1.1 200 OK Date: Sun, 29 Aug 2010 22:11:49 GMT Server: Apache/2 Accept-Ranges: bytes Content-Type: text/html Connection: close Age: 0 東京新聞:丘の上に立つと、波と風の音しか聞こえなかった。正面に伊豆大…:社説・コラム(TOKYO Web)
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【コラム】

筆洗

2010年8月29日

 丘の上に立つと、波と風の音しか聞こえなかった。正面に伊豆大島、西には富士山を望む三浦半島の海辺に、最後の海軍大将・井上成美(しげよし)が、戦後亡くなるまで隠棲(いんせい)した邸宅がある▼米内光政、山本五十六と力を合わせて、日独伊の三国同盟条約の締結に反対。米国との開戦にも徹底して反対したことで知られ、海軍次官として敗戦の約一年前から、早期の和平工作に尽力した▼海軍きってのリベラル派として知られるが、戦後は公式の発言を控えた。自宅で近所の子どもに英語を教える清貧な暮らしで、ジャーナリズムの取材に応じることもほとんどなかった▼「沈黙の提督」とも呼ばれたその井上が、旧海軍OBの親睦(しんぼく)団体「水交会」に委嘱された小柳冨次元中将の聞き取りに貴重な証言をしていた。四月に刊行された『帝国海軍 提督達(たち)の遺稿 小柳資料』で知ることができる▼日米開戦の引き金になった南部仏印進駐を「火事場泥棒と云(い)うの外はない」と批判。親しかった連合艦隊の山本司令長官に対しても「(山本が)対米作戦に自信がないと云うことであれば、職を賭しても太平洋戦争に反対すべきであった」と断じている▼東条内閣で海相、軍令部総長を兼務した嶋田繁太郎元大将も身内の聞き取り調査には驚くほど能弁だ。戦後六十五年を経て明らかになることがある。歴史を評価する難しさをあらためて知る。

 

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