HTTP/1.0 200 OK Server: Apache/2 Content-Length: 17341 Content-Type: text/html ETag: "156941-43bd-fb106840" Cache-Control: max-age=5 Expires: Mon, 30 Aug 2010 00:21:46 GMT Date: Mon, 30 Aug 2010 00:21:41 GMT Connection: close
Astandなら過去の朝日新聞天声人語が最大3か月分ご覧になれます。(詳しくはこちら)
東京オリンピックには94の国と地域から選手が参加した。あまたの名選手の中で、印象深い外国人を3人あげるなら、マラソンのアベベ、女子体操のチャスラフスカ、そして柔道のヘーシンクといったところか。柔道はこのとき初めて五輪競技になった▼そのアントン・ヘーシンクさんの訃報(ふほう)がオランダから届いた。享年76の柔道家は、東京五輪で日本人を一番悔しがらせた人だったかもしれない。本人は後々まで「日本では今も悪役」と冗談めかして言っていたそうだ▼神永昭夫選手(故人)との無差別級決勝は、あの場面なしに語れない。勝利を決めた瞬間、興奮したオランダの関係者が畳に駆け上がるのを、厳しく手で制止した。自身には笑顔もガッツポーズもない。敗者への敬意と挙措に、多くの日本人はこの柔道家が「本物」だと知った▼その強さは際立っていた。勝てる者はいないと言われた。白羽の矢が立ったのが神永選手である。「誰かがやらなければならない大役」だったと、悲壮ともいえる記述が公式報告書に残る▼そしてノーサイドの高貴が、この勝負にはあった。一方が「神永さんは敵ではなく仲間なのです」と言えば、一方は「私のとるべき道は良き敗者たること。心からヘーシンクを祝福しました」。素朴さの中で五輪は光っていた▼「日本に生れた柔道が世界に広まり、オランダで花咲かせたことを祝福し……」と当時の小欄は書いている。「柔道からJUDO」への貢献は末永く続いた。思えばまたとない人物に、あのとき日本は敗れたのであろう。