HTTP/1.1 200 OK Date: Sun, 22 Aug 2010 00:12:32 GMT Server: Apache/2 Accept-Ranges: bytes Content-Type: text/html Connection: close Age: 0 東京新聞:五十二年前から始まった歴史の最初の一ページには、苦い記憶が…:社説・コラム(TOKYO Web)
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【コラム】

筆洗

2010年8月22日

 五十二年前から始まった歴史の最初の一ページには、苦い記憶が刻まれている。沖縄代表として、首里高校が夏の全国高校野球選手権大会に初めて出場した一九五八年、沖縄はまだ米国の統治下にあった▼パスポートを携えて本土に渡った首里ナインは初戦で敦賀(福井)と対戦、十三の三振を奪われ、0−3で完封負けを喫するが、スタンドを埋めた大観衆は沖縄代表に温かく、選手に「また来いよ」と拍手と歓声を浴びせた▼悲劇は、帰りの船が那覇港に到着する時に起きた。選手が甲子園のグラウンドから持ち帰ってきた「祖国の土」は植物防疫法で「外国の土」とみなされ、帰郷した船から海中に投棄されたのだ▼首里の選手たちが無念さをかみしめた出来事から半世紀余り。沖縄代表チームはついに、夏の甲子園で頂点に立った。興南の強力打線はきのうの決勝で集中打を浴びせ、大会屈指の左腕・島袋洋奨(ようすけ)投手が力投、東海大相模(神奈川)を破った▼悲願の夏の大会の優勝を果たすとともに、成し遂げたのは史上六校目となる春夏連覇の快挙。観衆から判官びいきされ、いつも初戦で敗退する弱い沖縄勢のイメージははるか遠い昔のことになった▼「沖縄県民で勝ち取った優勝」と叫んだのは我如古盛次(がねこもりつぐ)主将だ。興南ナインの歴史的な偉業は、不況の中、踏ん張っている沖縄の人たちの希望と勇気になるはずだ。

 

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