イラク駐留の米軍戦闘部隊が撤退した。開戦から七年、最大十七万人、死者は四千人を超えた。イラクではなおテロが頻発する。だが、これを節目に国民一丸となって自立再建に踏み出してほしい。
撤退は昨年七月まず都市部から始まり、今回撤退を完了したのは戦闘部隊の約十万人だ。米政府は今月末までの完全撤退を約束、国内には延長論も根強かったが計画通りに進めたことになる。なお五万人は残し、イラク治安部隊の教育と米国の復興支援の護衛に当たる予定だ。
撤退計画は昨年二月の「イラクの治安は改善と認識」として発表され、二〇一一年末には完全撤退する。その一部は情勢が悪化するアフガニスタンに向けられる方針だ。いずれ見切りをつけねばならないアフガン戦争の行方を見ながらの兵員兵力計画と言える。
経済政策でなかなか得点が挙げられないでいるオバマ政権にとっては、中間選挙を間近に控えて久しぶりの好材料になったのは間違いない。
ところがイラクでは米軍撤退が近づくにつれテロは増えた。七月の犠牲者は計五百三十五人を数え過去二年間で最悪。今月には首都バグダッドの国軍新兵募集に並んだ行列に向け自爆テロが起き六十人以上が死亡した。国際テロ組織アルカイダ系武装勢力の仕業とみられている。
つけ込まれるすきは今のイラク政治にもある。今年三月の国民議会選挙から半年近くも経るのに、今なお新首相、新議長を決められないでいる。選挙では自分はシーア派だが、宗派を超えようと世俗主義を掲げたアラウィ氏が辛くも勝った。
しかし議席の過半数はなく、第二党となったシーア派中心のマリキ首相派との連立協議は妥結をいまだに見ていない。世界が自力自立を強く求める理由でもある。
イラク戦争は大義なき戦争とも呼ばれている。米国の主張した大量破壊兵器の開発と存在はでっち上げの疑いが濃い。しかし少数のスンニ派主導という長年の独裁体制は倒れ、多数のシーア派や長年弾圧されたクルド人も国政に参加できるようになった。
流れた血は多すぎる。米兵の死に加え、イラク国民の血はけた違いに多く流れた。宗派、民族間の怨念(おんねん)は容易には氷解しないが、対立はテロ組織の思うつぼである。軌道に乗るまで国際支援は惜しむべきではないが、イラク再建の担い手はイラク人しかいない。
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