長寿の所在不明者が相次ぐ背景には、家族関係が希薄化した現代の姿がにじむ。自ら社会と絶縁した人も多かろう。つながりをどう再構築できるか。
朝起きたら「黄色い旗」を玄関先に掲げ、夕方には家の中にしまう。旗がかかっていないと、近隣の人が訪問して、「どげんかしたかえ」と、安否を確認する。
大分県国東市の吉広地区で続けられている「黄色い旗運動」である。百四十四世帯の集落で、六十五歳以上の高齢化率は約45%にのぼる。安心できる地域にしたいという願いから始まった。
◆会話できる地域めざし
同様の運動は他の地域にもあるが、吉広地区の特徴はお年寄りの家だけに限らず、全世帯が取り組んでいることだ。一人暮らしに限ると、悪質な訪問販売などの標的になりかねないからだという。
「逆に訪問販売がなくなりました」と同市社会福祉協議会の関係者は言う。「地域の警戒心が高まったのです。みんなが旗を気にかけ、住んでいる人のことを思うようになりました」
興味深いのは、高齢者の見守りは実は建前で、地域での会話を増やすのが本当の目的だそうだ。
「孤独死をなくすにはセンサー付きの家電製品でも可能です。でも、真に安心できる地域にするためには、顔が見え、会話ができる関係づくりが必要だからです」
ある一人暮らしの女性の家に旗が立っていないことがあった。近所の人が訪ねると、女性は健在だったが、こうつぶやいたという。
「わざと旗を立てなかった。寂しくて、誰かに来てほしかった」
東京都内の最高齢男性が白骨遺体で発見されたのを機に、全国で百歳以上の所在不明者が多数いることが判明してきた。神戸市では百五人、大阪市では六十三人にのぼり、まだまだ増える気配だ。
◆「個族」社会のはざ間で
高齢化に伴う一人暮らしの増加など、日本社会の構造的な変化とかかわる。六十五歳以上の人がいる世帯は増え続け、今や総世帯の約42%を占める。そのうち単独世帯は約23%である。居場所を失った高齢者も多いことだろう。生存と偽って年金を不正受給するケースなどと重ね合わせると、現代版の“姥(うば)捨て”を思わせる。
今は長寿者に焦点が当たっているが、根はさらに深い。住民基本台帳の住所に本人が住んでいないケースを百歳未満から若・中年層にまで広げると、無数の不明者が存在することが想像される。
例えば、所在不明がはっきりした場合、市区町村の判断で住民票を削除する「職権消除」という制度がある。総務省によれば、昨年度の職権消除は約五万九千件もあった。東京都が約一万七千件で、大阪府の約六千百件、埼玉県の約五千件と続き、大都市圏ほど居住実態があいまいな傾向が強い。
もはや核家族さえ崩れ、「個族」の時代が進む現代でもある。家族関係は薄れ、同居でも個室でそれぞれが自分のテレビやパソコンを見ている様子は、家電が「個電」化し、家具さえ「個具」化しているようだ。「核分裂家族」とも呼ぶ社会学者もいる。
個族化の行き着く果ては、つながりを失った孤独な群衆の姿ではないか。とりわけ自ら社会と絶縁する人々の存在は忘れ去られがちだ。消費者金融からの取り立てや家庭内暴力などから逃れるために、住民票をあえて更新せず、隠れ住む人々である。
「多重債務などで夜逃げや蒸発する人々は、年間で約十万人いるのではないか」と語るのは、宇都宮健児日弁連会長だ。
「取り立てを恐れて住民票を異動できない。しかし、住民票がないと、定職に就きにくいばかりか、一般的に健康保険に入れないため、医療も受けにくくなる。路上生活者が生まれる要因にもなるのです」
長寿者不明の問題は、十年も二十年もの長い歳月に、社会の底辺で蓄積されてきた病巣といえる。現代の貧困とも切り離しては考えられない。住民基本台帳から消えた人々の問題に、行政などは早急に手を打たねばならない。
高齢者の場合なら、安否確認や見守りの仕組みを立て直す。若・中年層の場合なら、さまざまな団体などと連携して、就労や福祉サービスなどにつなげる支援づくりに知恵を絞るべきである。
◆つながりの再構築を
地方での「黄色い旗運動」を大都会で展開するのは、恐らく困難だ。だが、「寂しくて誰かと話したい」という声は、都会ほど満ちているはずだ。個族時代こそ、他者とのつながりを再構築する「輪族」化が希求されている。行政の力ばかりでなく、地域の人々がお互い、心の中で「黄色い旗」を気にかけることが、支え合い社会の出発点となろう。
この記事を印刷する