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8月16日付 編集手帳

 父の戒名に至る先祖の墓碑を眺めていて、ふと駅伝を思い浮かべた。つなぐのはタスキではなく、命である。この駅伝は厄介なことに、自分の意思でチームを選べない。リタイアも許されない◆リレーを終えても、次の走者が一人前になるまで伴走しなければならないし、弱り行く前の走者の介護が必要になることもある。しかも、どこまで走り続ければいいのか、ゴールが走者には分からない◆近親者の葬儀で、ある僧は「人の生と死は、人の意思を超えたところにある」と語った。英語やドイツ語でも、「生まれる」は「産み落とされる」と受け身形で(つづ)る。人の生死に見えない力が働いている。そう考えるのは特異なことではないのだろう◆最近、育児放棄や虐待によって幼いわが子の命を奪う親が後を絶たない。命の神秘に無頓着でわが子は所有物だと言わんばかり。一方、高齢で衰弱した親が消えても「知らない」人が大勢いる◆命のリレーに異変が起きている。さまざまな荷物を背負い込んだ苦しいレースではあるけれど、やはり完走するしかあるまい。年に一度の墓参りで、そんな思いを新たにする。

2010年8月16日01時34分  読売新聞)
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