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8月15日付 編集手帳

 ―山の淋しい湖に/ひとり来たのも悲しい心…高峰三枝子さんの『湖畔の宿』(詞・佐藤惣之助、曲・服部良一)が世に出たのは1940年(昭和15年)である。替え歌が作られる◆―昨日生れたタコの子が/弾に当って名誉の戦死/タコの遺骨はいつ帰る/タコのからだにゃ骨がない/タコの母ちゃん悲しかろ…。ひそやかに、しかし、たちまちのうちに全国に広まったと、鳥越信著『子どもの替え歌傑作集』(平凡社)にある◆戦死したわが子は遺骨さえ帰らない。大っぴらには口にできない悲しみを替え歌に託し、人々はそっと口ずさんだのだろう◆話術家の徳川夢声は、戦時下の日記に自作の句を書き留めている。〈出鱈目(でたらめ)()きし菜種の霜に堪え〉〈(せみ)鳴くや後手後手と打つヘボ碁打ち〉。家庭菜園や囲碁の話題を装いつつ、播かれる「菜種」や打たれる「碁石」が、戦略なき戦争に翻弄(ほんろう)される庶民を指すのは明らかである。暗号のような替え歌や俳句でしかありのままの心情を語れない時代があったことを、言論の末席に連なる者として忘れまい◆鎮魂と慰霊の日は、「声」の無事を確かめる日でもある。

2010年8月15日01時10分  読売新聞)
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