単独機では世界最悪となった一九八五年八月十二日の日本航空(JAL)のジャンボ機墜落事故。四半世紀が経(た)ったが大惨事を風化させてはならない。安全運航の徹底こそ、会社再建の原点だ。
東京・羽田空港整備場の一角にある同社安全啓発センター。二〇〇六年四月に開設以来、八万一千人を超える人々が来館した。ゆがんだメガネや座席、墜落原因となった圧力隔壁の残骸(ざんがい)などが展示されている。突然命を奪われた五百二十人の絶望と怒りが今も消えることはない。
墜落現場となった群馬県上野村の御巣鷹の尾根で、今年は大掛かりな慰霊式が行われる。大西賢社長らに続き、前原誠司国土交通相が歴代大臣として初めて慰霊登山する予定だ。
日航は戦後の日本の航空業界をけん引し、「世界一安全な航空会社」と称賛されたこともある。ジャンボ機の大量導入で海外旅行の大衆化への道も開いた。だが放漫経営と社内抗争が繰り返され、安全管理はおろそかになった。その果てがあの大惨事だった。
〇五年末、ノンフィクション作家の柳田邦男氏を座長とする同社アドバイザリーグループは、墜落事故の教訓として安全資料センター(仮称)の設置を提言した。その年は機材や運航トラブルが続出し、安全第一の企業体質づくりが頓挫していたことが判明した。
そして今年一月十九日、同社は倒産した。会社更生法の適用を受け企業再生支援機構などの援助を得て再建を図ることになった。八月末までに更生計画を策定し東京地裁に提出する予定だ。
経営の不手際で安全を損ねてはならない。再建計画ではグループ全体で従業員一万六千人以上を削減し、国内外四十五路線から撤退する案が有力だ。士気の低下と事故を体験した幹部・中堅社員の減少により、安全文化の継承が困難になる恐れがある。
食い止めるには経営陣と管理職、現場社員の三者構成の安全担当組織を強化し、情報交換と意思疎通を確実に行うことだ。労組も参画すべきである。
航空の安全は民間企業だけでは達成できない。航空行政は空港建設から航空自由化、管制など広範囲に及ぶ。今後は全日本空輸(ANA)を含めた航空会社の体質強化策について検討が必要だ。
今年は国内で飛行機が初めて飛んでから百年となる。「航空百年」の年が「安全運航百年」推進の一年となることを祈りたい。
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