HTTP/1.1 200 OK Date: Sun, 08 Aug 2010 01:14:30 GMT Server: Apache/2 Accept-Ranges: bytes Content-Type: text/html Connection: close Age: 0 東京新聞:長崎の爆心地近くの兵器工場で、原爆の閃光(せんこう)を浴び…:社説・コラム(TOKYO Web)
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【コラム】

筆洗

2010年8月8日

 長崎の爆心地近くの兵器工場で、原爆の閃光(せんこう)を浴びた十四歳の少女がいた。同級生の多くが非業の死を遂げる中、倒壊した工場からはい出て奇跡的に生還する。兄の要請を受け、離れて暮らす家族や親類に回覧する「新聞」に、妹は気の進まないまま体験記を寄せた▼被爆からまだ二カ月ほどの時期だ。原爆症の治療で入院中だった石田(現姓・柳川)雅子さんは、便せんに小さな字でぎっしりと生々しい記憶をよみがえらせた。兄が付けた愛情溢(あふ)れる記事のタイトルは『雅子斃(たお)れず』▼貴重な被爆体験記は出版が決まるが、米軍の検閲当局から発禁処分になる。悲惨な情景描写や「悪魔の如(ごと)き原子爆弾」などの表現が反米感情をあおり、社会の安寧秩序を乱すという理由だった▼検閲が緩和された一九四九年二月、出版にこぎつけた。事後検閲で本が回収されないように、米軍を刺激しそうな表現を書き換えたり、削除したりしたという▼今月出版された「長崎・そのときの被爆少女〜六五年目の『雅子斃れず』」(横手一彦編著)は、家族新聞に掲載された最初の手記を六十五年ぶりに再録した▼核兵器をこの世界からなくすために、書き残した手記が役立つのなら、微力でもその力の一端になりたいと雅子さんは願う。<花愛し新緑めでて今日までも原爆に負けず生きしいのちよ>(柳川雅子)。あすは長崎の原爆忌。

 

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