まる一年の空白を経て、死刑囚二人の刑が執行された。死刑廃止論者で知られる千葉景子法相の重い決断だったといえる。裁判員として極刑判断に直面する国民自らが、制度を考える契機としたい。
千葉法相自身が東京拘置所での死刑執行に立ち会った。初のケースという。「自ら命令した執行なので、きちんと見届けることも私の責任だ」と意図を述べた。
もともと人権派弁護士で、「死刑廃止を推進する議員連盟」に所属していた。法相就任時には執行について「慎重に検討したい」とコメントしたが、今年二月には「死刑制度がなくなることが好ましい」とも発言した。
その結果、昨年七月二十八日以来、死刑のない一年が経過していた。先の参院選で落選し、続投を疑問視される身でもあった。それらを踏まえると、今回の死刑執行は、自らの信条よりも、法相としての職務・職責を重んじた苦渋の判断だったのではないか。
死刑をめぐっては、二〇〇五年に杉浦正健元法相が「宗教観の問題として、サインしない」と述べたケースがある。発言は撤回したものの、任期中に執行しなかった。鳩山邦夫元法相は過去最多の十三人の執行に署名し、死刑問題が大きくクローズアップされた。
今回、千葉法相が法務省内に勉強会を置くことを明言したことで、問題は再燃するだろう。外部の有識者から幅広い意見を求めるともいうが、議論の過程が国民の耳にも届くようにすべきである。
裁判員制度により、今後、裁判員が死刑判断を迫られるのは必至で、一般市民も人ごとでは済まなくなるからだ。国民的な議論を高める必要がある。
現在は死刑容認の声が圧倒している。内閣府の世論調査では「場合によっては死刑もやむを得ない」との回答が約86%と過去最高となった。
だが、人権団体などから廃止や停止を求める声も根強い。世界を眺めても、死刑廃止国が百三十九カ国なのに対し、死刑存置国は五十八カ国にすぎず、少数派だという。
千葉法相は刑場を報道機関に公開する意向も示した。確かに究極の刑罰の現実について、国民はあまりに何も知らされてこなかった。秘密主義と呼んでもいいほどだ。
裁判員が死刑を言い渡す重い試練を思えば、情報公開を進めるのは当然だ。死刑囚や諸外国の実情などを教えていくことが、制度を熟考する基礎となる。
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