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7月27日付 よみうり寸評

 1972年ミュンヘン五輪で男子バレーボール日本代表の主将だった中村祐造さんの訃報(ふほう)を聞いた。あの夏が遠くなったことを思う◆日本の男子バレーが最も輝いた夏だった。金メダルを取った決勝よりも、あわや敗退の瀬戸際だったあの夜、準決勝の対ブルガリア戦を思う。筆者はプレス村からあわてて会場へ走った◆日本は2セットを落として第3セット、0―4とリードされた土壇場で、控えにいた最年長、南将之を起用、続いて主将の中村を投入した。ピンチならベテランのこの2人と松平監督は決めていた◆これで〈奇跡の逆転〉が始まり、3、4、5セットをいずれも逆転に次ぐ逆転で連取して勝った。翌日の決勝は東ドイツを3―1で下し金メダル◆東京五輪で銅、メキシコで銀、続くミュンヘンで(つい)に世界の頂点に立った。大古、森田、横田、猫田、島岡らを中村さんがまとめた。「練習の鬼」を主将にしたのが「最大の勝因」かも知れない◆あの夏から38年。鉄人・中村祐造、68歳を悼む。逝くのは早すぎる。

2010年7月27日13時54分  読売新聞)
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