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7月27日付 編集手帳

 亡くなった作家の文業を(たた)えて、追悼特集号が出るのは珍しくない。編集者を悼んで――というのは異例だろう。滝田樗陰(ちょいん)の死去に際し、彼が在籍した総合誌『中央公論』から追悼特集号が出ている◆身内の者を表立って称えるのを中央公論社はためらったが、作家たちの要望を受けて刊行したという。新人発掘の“目利き”として聞こえ、のちに菊池寛が〈文壇における勢威はローマ法王の半分ぐらいはあった〉と語った大編集者ならではだろう◆芥川龍之介や佐藤春夫などとともに樗陰の導きによって文壇に名乗りを上げた作家の一人、室生犀星(さいせい)が初めての小説『幼年時代』の掲載を樗陰に懇願した手紙が見つかった◆〈あなたが私を引きずり上げて下されば私はきつともつとよいものをかくにちがひない〉。1919年(大正8年)6月の手紙には、無名作家のすがるような心情が切々と(つづ)られている◆“目利き”の職人技が個々の編集者から文学賞に移って久しい。〈(ある)意味で私を砂利の内に見つけた人であるかも知れぬ〉。樗陰を悼む文章に犀星は書いた。才能発掘という仕事に、人の(にお)いがした昔がある。

2010年7月27日01時16分  読売新聞)
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