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7月21日付 編集手帳

 巨人の長嶋茂雄選手は1961年の夏、不調の底にいた。夜の国鉄戦まで時間がある。ユニホームに着替えた長嶋選手は立教大学時代の師、砂押邦信(すなおしくにのぶ)さんの自宅を訪ね、庭でバットを振った。フォームを点検してもらおう、と◆野球評論家の近藤唯之氏が『戦後プロ野球50年』(新潮社)に書いている。砂押さんは当時、国鉄の監督である。今夜、敵と味方に分かれてまみえる監督のもとに打撃を教わりにいく…◆「さすがに私も気が引けて、ユニホームを裏返しにさせ、背番号3が見えないようにしました」。砂押さんは語っている◆教える側、教わる側、どちらにとってもありえない、あってはならぬ常識外の振る舞いが、固いきずなの伝説として語られるのはこの師弟だけだろう。ボールに石灰をまぶして夜間も続けた「月明かりの1000本ノック」の猛特訓により、長嶋茂雄という原石をダイヤモンドに磨き上げた元立大の“鬼監督”、砂押さんが87歳で亡くなった◆「シゲは、シゲは…」と最晩年まで気遣っていたという。闘魂と魅惑――長嶋さんの代名詞のなかにも鬼がいる。寄り添うその人のように。

2010年7月21日01時33分  読売新聞)
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