HTTP/1.1 200 OK Date: Sun, 18 Jul 2010 00:14:31 GMT Server: Apache/2 Accept-Ranges: bytes Content-Type: text/html Connection: close Age: 0 東京新聞:週のはじめに考える 世界のなかの日本語に:社説・コラム(TOKYO Web)
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【社説】

週のはじめに考える 世界のなかの日本語に

2010年7月18日

 社内の共通語を英語にする企業も珍しくなくなったグローバル化時代です。気がかりなのは日本語の運命。世界に向けて逞(たくま)しく輝け、が願いです。

 近代国語辞典の決定版として名高い日本国語大辞典の編集長を務めた倉島長正さんの近著「国語辞書一〇〇年」刊行の動機のひとつは「国語の時代を総括する」ことにありました。

◆近代国家苦闘の百五十年

 グローバル化とインターネットのせいでしょう。言語の世界も新しい世紀に入り、日本語も日本人だけの国語ではなくなりました。日本への留学生は十万人、海外の百三十カ国で三百万人が日本語を学習して「国語」は「日本語」へと変容しています。学会も大学の専攻名も「国語・国文学」系から「日本語・日本文学」系へと名称変更されています。

 倉島さんの著書の副題が「日本語をつかまえようと苦闘した人々の物語」であるように、黒船の来航で近代化を余儀なくされた日本の百五十年も苦闘の連続でした。

 急ぎ近代国家の陣容を整え、国民に共通の国語もつくらねばなりませんでした。標準語、口語文、訳語、字体、句読点などの明治政府の言語の革新は、漢字廃止論やローマ字化論など今なお悔いを残す日本語混乱の副作用を引き起こしました。

 そんな時代の辞書づくりは国家的偉業でもありました。「十七年間の辛勤」で明治二十四(一八九一)年完成したのは大槻文彦の「言海」。近代国語辞典の祖とされ、中小の辞典のあと、「大日本国語辞典」、百万部普及の「大言海」、「大辞典」と大型辞典の刊行が続きます。

 オックスフォード英語辞典(OED)の理想に近づいたとされる「日本国語大辞典」二十巻の完成は昭和五十一(一九七六)年でした。四十五万項目、国語辞典に百科事典的要素を加え、言語学的研究辞典としても完璧(かんぺき)が期されたとされます。

◆主語がいらない秘密

 親子二代、あるいは三世代にわたる研究者たちが生涯を捧(ささ)げてのそれぞれの辞書づくりでした。その労苦と情熱がページに刻み込まれています。 

 国語から日本語へ。新しい言語の世紀ですが、この時代の主役としての英語の急速な君臨が日本語にとって難問です。

 二年後をめどに英語を社内の共通語にすると公表したのは楽天でした。ユニクロのファーストリテイリングも続くようですが、グローバル企業の意思伝達はすでに英語が原則です。実用英語が企業人の条件となると、子をもつ親たちの心は穏やかでないにちがいありません。英語第二公用語論は再び勢いを増してくるでしょうし、作家水村美苗さんのベストセラー「日本語が亡(ほろ)びるとき」の憂慮がいよいよ現実化しかねません。

 そんな悲観論に「日本語は亡びない」(ちくま新書)と反論するのがカナダ・モントリオール大学で日本語を教える金谷武洋さん。日本語の希望の未来を語ります。

 金谷さんによれば、日本語は間違いなく重要な国際語の一つになっていて、日本や日本の文化、日本の自然や日本人の優しさへの評価が日本語人気になっているといいます。そのうえで、「主語がいらない日本語」の構造にこそ世界を救う秘密が隠されていることを指摘します。日本語の共存共栄の思想と世界観です。

 主語と述語がなければ成り立たない英語は、<我>と<汝(なんじ)>が区別され、対立する世界です。主語のいらない日本語の世界は、我と汝が一体となって溶け込み「対話の場」がつくられているというのです。敵も味方もなくなります。

 例えば広島の原爆慰霊碑の「過ちは繰返しませぬから」の碑銘や沖縄平和祈念公園の「平和の礎(いしじ)」。敵も味方も同じ被害者で沖縄の慰霊碑には米兵の名前さえ刻まれています。これこそが日本語が何世紀にも何世代にもわたって先祖から引き継いできた共存共栄の思想だというのです。

◆敵対から共存共栄へ

 敵対、対立から共存共栄の世界へ。英語公用語などという愚かで不要な議論はやめて、世界を救える思想を含む日本語を世界で教えられる正しい形に整えること−金谷さんはこれが武器や資源にもまして効果的な日本国家戦略だと訴えるのです。

 言語はたんなる伝達の手段ではありません。思考の基礎であり、歴史や文化、伝統、思想信条や情緒、感性が込められて遠い過去から伝えられ、未来へ引き継がなければならないものです。日本語を充実させ輝かせるのがわれわれの世代の任務。政治家は国民を納得させる言葉を、ジャーナリズムは言葉を磨く。国民一人一人が使命を果たさなければなりません。

 

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