平賀源内が江戸時代に書いた「神霊矢口渡」は、渡守の娘が新田義貞の子義峰への恋心から、わが身を犠牲にする物語である。最初は人形浄瑠璃、後に歌舞伎で人気を集めた▼舞台になった矢口の渡しは、東京都大田区の多摩川下流にあった。一九四九年に多摩川大橋が完成するまで、対岸の川崎市との間を往復する生活の足だった▼その渡船場跡の近くで、高校一年生の二人が水死する悲しい事件が起きたのは一年前の夜。警視庁は当初、自ら飛び込んだとして、水難事故と判断した▼亡くなった村沢卓也君は小学生の時、妹がプールでおぼれたのを見て水が嫌いになった。泳げないのに飛び込むだろうか。「最後の言葉は何だったのかな?」。四カ月後の納骨式で父が発した言葉が真実を引き出した。仲間が撮った携帯電話の動画に二人が川に落とされる様子が写っていたのだ▼泳げないと訴えていた村沢君が、水中で苦しそうにもがき、「ぼくマジです」と助けを求めていた。警視庁は、体を押して川に落とした少女と少年を過失致死の非行容疑で九日、東京家裁に書類送致した。遊びの延長で起きた不幸な事件だった▼多摩川の川面はきのう、夏の日差しを浴びて輝いていた。水深が浅ければ、釣り人がいる昼間だったら、二人の命は救えただろうか。震災時のために新しくつくられた船着き場で早すぎた死を悼んだ。