HTTP/1.1 200 OK Date: Tue, 06 Jul 2010 02:14:59 GMT Server: Apache/2 Accept-Ranges: bytes Content-Type: text/html Connection: close Age: 0 東京新聞:一九八〇年代後半、ハイセイコー以来の競馬ブームを全国に巻き…:社説・コラム(TOKYO Web)
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【コラム】

筆洗

2010年7月6日

 一九八〇年代後半、ハイセイコー以来の競馬ブームを全国に巻き起こしたオグリキャップがこの世を去った。岐阜の笠松競馬でデビューして十二戦十勝。中央競馬移籍後はエリート競走馬たちを連破、「怪物」と呼ばれた▼引退レースとなった九〇年十二月の有馬記念で奇跡の優勝を遂げるドラマを生み、一年で百万個以上のぬいぐるみが売れる人気者だった。骨折による安楽死は悲しいがファンに愛された二十五年だった▼屈指のアイドルホースの死を機に、伝説の競走馬と騎手を紹介したい。十一勝無敗の記録を打ち立て、史上最強の牝馬と呼ばれたクリフジ。そして、この馬に乗って四三年の東京優駿競走(現日本ダービー)を二十歳三カ月で制した前田長吉さんだ▼彗星(すいせい)のごとく現れた天才ジョッキーは四四年秋に召集され、満州で物資を輸送する部隊に入隊した。敗戦後、旧ソ連のシベリアに抑留され、四六年二月、チタ州の収容所で二十三歳の生涯を終えた。死因は栄養失調らしい▼DNA鑑定で判明した前田さんの遺骨が、故郷の青森県八戸市の生家に戻ったのは四年前。遺族のもとにはダービー優勝時の賞状やブーツ、クリフジ騎乗の写真などが大切に保存されている▼戦争が、抑留がなければ、前田さんは日本の競馬史にどんな足跡を残しただろうか。日本ダービーの最年少記録は、まだ破られてはいない。

 

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