HTTP/1.1 200 OK Date: Wed, 30 Jun 2010 21:14:58 GMT Server: Apache/2 Accept-Ranges: bytes Content-Type: text/html Connection: close Age: 0 東京新聞:名古屋場所開催 再生へ、捨て身の改革を:社説・コラム(TOKYO Web)
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【社説】

名古屋場所開催 再生へ、捨て身の改革を

2010年6月30日

 大相撲はいま存亡の危機にある。名古屋場所はまさしく後のない土俵際で開かれる。ファンの信頼も伝統の誇りも失った相撲界。解体的改革であしき体質を一掃するほかに道はない。

 底なしの様相を呈していた大相撲の野球賭博問題は、特別調査委の勧告を日本相撲協会が受け入れて、ひとまず節目を迎えた。大関琴光喜、大嶽親方らの懲戒処分、関係力士の謹慎・休場、武蔵川理事長をはじめとする親方の謹慎、理事長代行の任命などを条件としたうえで、論議となっていた名古屋場所(七月十一日初日)の開催が決まったのだ。

 多くの力士、親方が欠け、懸賞金見送りの動きもあり、NHKの中継も保留のままという非常事態である。ファンの視線も厳しいだろう。力士たちは、出直しの決意が見る側に届くよう、必死の思いで土俵を務めるしかない。

 とはいえ、賭博問題の解明もまだ半ば。これはスタートにすぎない。崩壊のふちからの再生へ、ここから相撲界はそれこそ捨て身の改革を求められることになる。

 これまでも横綱朝青龍(引退)をめぐる諸問題、大麻事件、力士暴行死事件などの不祥事が相次いできた大相撲。原因の第一は相撲界の独善性、閉鎖性にある。「相撲界のことは力士出身者でなければわからない」「相撲界には相撲界のしきたりがある」などとして外からはうかがい知れない世界をつくり、一般社会とはかけ離れた空気の中で生きてきたのだ。

 そうしたやり方がゆがみ、ねじ曲がって、一般常識では許されない振る舞いが当たり前となった。理不尽な暴力や、暴力団の資金源となるケースが多い賭博に、看板力士や親方が平然と手を染める行為はその象徴といえる。

 大相撲は国民の財産である。手をこまねいて破滅を待つわけにはいかない。となれば、自浄能力も統治力もない相撲協会にまかせておけないのは自明の理だ。協会はすべての課題を白日のもとにさらしたうえで、改革へのアイデアと実務能力を兼ね備えた外部の有識者たちに再生をゆだねるべきだろう。改革後の運営も外部を中心として進める方がいい。

 長い歴史を持つ日本の宝をここまで劣化させた協会の責任はきわめて重い。二度とこうした体質に戻らないよう、今後はガラス張りの運営にしていく必要がある。また、この未曾有の危機を、関係者もファンもこぞって大相撲のあり方を再考する機会ともすべきだ。

 

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