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2010年7月1日(木)付

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中台経済協定―東アジアの安定に生かせ

中国と台湾が経済協力枠組み協定(ECFA=エクファ)を結んだ。国民党が共産党との内戦に敗れ台湾に逃れてから、中台間で初の包括的な協定となる。北東アジアで初の自由貿易圏づ[記事全文]

W杯日本惜敗―人々の心に決めたゴール

2010年に自分は何をしていただろうか。ずっと後になって思い出そうとするとき、多くの人がサッカーのワールドカップ(W杯)決勝トーナメントの、29日のゲームを手がかりにするかも知れない。[記事全文]

中台経済協定―東アジアの安定に生かせ

 中国と台湾が経済協力枠組み協定(ECFA=エクファ)を結んだ。国民党が共産党との内戦に敗れ台湾に逃れてから、中台間で初の包括的な協定となる。

 北東アジアで初の自由貿易圏づくりにつながり、地域の安全保障にも影響を及ぼすであろう画期的な出来事だ。

 ECFAは自由貿易協定(FTA)とほぼ同じ役割を果たす。まずは中国が539品目、台湾が267品目の関税を段階的に下げ、2013年1月でゼロにする。銀行や保険や医療などのサービス分野で、台湾から中国市場に進出することも合意された。中国は労働市場の開放を求めないと約束した。

 全体として中国側の譲歩が目立つ。台湾の民意をくみ、将来の統一へ向けた布石を打つ狙いだろう。

 このところの中台関係の緊密化には目を見張らされる。中国共産党の胡錦濤総書記(国家主席)は05年、台湾の野党だった国民党の連戦主席と60年ぶりとなる「国共」トップ会談をして、「台湾独立反対」で一致した。

 対中融和派で国民党の馬英九氏が08年に総統に就任してからは、中台の主要都市を結ぶ直行便や港湾の相互開放も始まった。台湾との一体化を進め、いずれは統一に向けた政治対話に引き込もうという戦略に基づく政策だ。

 馬氏はそんな狙いは承知のうえで、中国との経済関係強化による台湾の活性化を公約にした。中国と東南アジア諸国連合(ASEAN)のFTAが今年から発効し、輸出の3割が中国向けという台湾は危機感を強めてもいた。

 中台は今後交渉を重ねて、サービス分野や投資についても障壁をなくし、最終的には自由貿易圏を目指す。

 日本や韓国も手をこまぬいてはいられない。アジア全体を想定した自由貿易圏を構想していかねばなるまい。

 むろん、中台自由貿易圏の成立までには曲折もあろう。野党民進党や李登輝・元総統らは「台湾が中国にのみこまれる」とECFAに反対している。議会での承認にも抵抗がありそうだ。

 とはいえ民進党が政権奪還したとしても、「世界の市場」である中国との経済一体化の流れには抗しきれまい。

 中台が台湾海峡を挟んで鋭く敵対していた時代は去ったかのようだ。だが、中国が台湾に向けて大量にミサイルを配備し、米国が台湾向けに武器売却を続けている現実は残る。

 中国の驚異的な経済発展は、平和な国際環境に多くを負っている。経済力で台湾をつなぎとめるだけではなく、ミサイルを撤去し、自らも安定した地域秩序づくりに乗り出すべきだ。ECFAをその契機にしてもらいたい。

 中台間の信頼醸成が進展し、台湾海峡の軍事的な緊張緩和につながれば、日本の安全保障戦略も再検討を迫られる。日米間の「同盟深化」を進めるうえでも、目を離すことはできない。

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W杯日本惜敗―人々の心に決めたゴール

 2010年に自分は何をしていただろうか。ずっと後になって思い出そうとするとき、多くの人がサッカーのワールドカップ(W杯)決勝トーナメントの、29日のゲームを手がかりにするかも知れない。

 「あれは、日本がパラグアイと死闘を演じた年だった」というふうに。

 南アフリカ・プレトリアのスタジアムで、日本中で、いったいどれほどの人々が、延長戦にまでもつれ込んだ120分の攻防に見入っただろう。

 日本代表はパラグアイにPK戦の末敗れた。初の8強の夢はついえた。しかし、南米の試合巧者とぎりぎりまで競り合い、堅守を維持しつつも攻めの姿勢を貫いた。激しくひたむきに、選手たちは持てる力を振り絞った。

 ままならぬ就職活動、リストラの嵐がおさまらない企業社会……。出口が見えない状況に社会が迷い込んでいる今、死力を尽くす選手の姿は、深く人々の心に刻み込まれたのではないか。

 あと一歩だった。選手や岡田監督らには無念の思いがあるだろう。だが、敗戦なのに、すがすがしささえ残る闘いぶりだった。

 1次リーグ初戦でアフリカの強豪、カメルーンに競り勝った。本田選手が挙げた1点を、献身的な守備で守りきった。世界ランキング4位のオランダに屈しはしたが、0―1の惜敗。デンマーク戦では本田、遠藤両選手の芸術的なフリーキックなどで、3―1と完勝した。英国のBBC放送は「感動的な日本」と称賛した。

 快進撃に日本中が熱狂していった。W杯直前の強化試合で4連敗し、日本代表は土壇場に追い込まれていたから、なおさらだった。

 選手に声援を送る人々の胸の中にあったのは、劣勢の中でも自らを信じ、闘い続けてきた選手たちへの深い共感だろう。年齢や性別を超えて、ここまで日本中が一体感を感じるような出来事は、久しくなかった。

 岡田監督は昨年、日本外国特派員協会での記者会見でこう話した。

 「南アでの結果によっては、おそらくいろいろな影響が出る。成功すれば日本も自信を持つだろうし、失敗すれば景気が悪くなるかも知れない」

 監督は「4強」を掲げ、「世界を驚かす」と言った。途方もない目標だと誰もが思った。選手でさえ、現実の目標として4強を思い描こうとした者は当初、数人だったという。

 だが、設定したハードルが高かったからこそ、選手は自らを極限まで追い込めたのだ。パラグアイ戦後の、大久保選手の言葉が象徴的だ。「限界はないんだって思った」

 息苦しい時代がスポーツに求めるものを、選手たちは確かに届けた。人々の心のゴールに、みごとなシュートを決めた。

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