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英語の「スピーチ」に、福沢諭吉が「演説」の語をあてたのはよく知られている。かの「学問のすゝめ」でも、「我思うところを人に伝うるの法なり」などと解説している。もともとあった「演舌」という語を、「舌では俗っぽい」と「説」に替えたそうだ▼たしかに、話す言葉の不実をたとえる「舌」のイメージは芳しくない。「舌先三寸」に「二枚舌」「口舌の徒」、「舌の根の乾かぬうちに」というのもある。舌でごまかさず説を述べるべし――訳語には、そうした思いがこめられていたかも知れない▼ところで今日は、諭吉が開いた日本で初の演説会にちなむ「演説の日」だという。折しも参院選の選挙サンデーである。津々浦々で言葉が飛び交うことだろう。それが「演説」なのか、「演舌」ではないのか、ここはじっくり吟味したい▼「口に蜜あり腹に剣あり」などと中国の故事に言う。悪だくみを腹に秘めた政治家など、今の日本にいるまいが、甘い言葉はあふれている。剣はなくても、腹の中が空っぽなら、有権者はまた「力量不足」という肩すかしを食うことになる▼諭吉が偉かったのは、訳語を作っただけでなく、演説を真っ先に実践したことだろう。それは政治家に欠かせぬ技能となる。切磋琢磨(せっさたくま)から多くの名演説が生まれ、言論として光を放ってきた▼その輝きが衰えたと言われて久しい。政治家の言葉を楽しみ、心震わせる機会は、いまやすっかり希少になった。選挙戦を眺めつつ、物干し台で特訓をしたという諭吉の時代の熱に、ふと思いを致してみる。