意見や情報を発信する自由がしばしば妨げられ、異論が封じられるようでは民主主義が危うい。公的機関はもとより市民一人ひとりにも、「表現の自由」を支え、守り抜く責務がある。
いつまで同じことを繰り返すのか。自分と違う意見を無理やり葬り、脅された側もあっさり屈してしまう。和歌山県太地町のイルカ漁を批判する米国のドキュメンタリー映画「ザ・コーヴ」をめぐる事態はそういうことである。
民主主義の基盤とされる表現の自由が大きく揺らいでいる。
映画は「沿岸捕鯨発祥の地」とされる太地町でイルカ保護の活動家らにより撮影された。次々殺されるイルカの血で海が真っ赤に染まるシーンなどがあり、残虐行為として描かれている。
今春、米アカデミー賞の長編ドキュメンタリー賞を獲得した直後から「反日的作品だ」と主張する団体の抗議行動が始まった。今月になって上映予定映画館に対する街頭宣伝や抗議行動が予告されると、東京、大阪の三館などが相次ぎ上映中止を決めたのである。
合法的なイルカ漁の歴史や伝統を無視し、一方的に非難する映画の内容に違和感を覚える人も多いだろう。立ち入り禁止の浜に潜入したり隠しカメラを使うなど、撮影手法にも厳しい批判がある。
それでもなお、上映妨害は許されない。映画の評価は見た人それぞれがすべきであり、まずできるだけ多くの人が実際に鑑賞することが必要だ。
自分と違う意見や気に入らない情報を発信させず、逆に脅迫などに屈することを繰り返していると暗い時代に逆戻りしかねない。
二年前、中国人監督による映画「靖国 YASUKUNI」が保守系国会議員らの批判で次々と上映中止に追い込まれるなど、攻撃による表現行為の萎縮(いしゅく)現象が絶えない。日教組の教育研究集会が右翼の脅しに屈したホテルの会場使用拒否で流れたこともある。
「観客や周囲に迷惑がかかっては…」という映画館側の不安は理解できるが、守り抜く気概に支えられない自由はもろい。上映予定の残り二十数館はひるまないでほしい。市民一人ひとりがその姿勢を支え、警察などは妨害行為に断固たる対応をすべきだ。
「私は君の意見に反対だ。しかし、君がそれを主張する権利は命をかけても守ろう」−十八世紀の思想家ボルテールの言葉をかみしめたい。
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