給付金支給などシベリア抑留に関する特別措置法が成立した。対象となる人々には、長かった戦後にやっと区切りが付くが、国は残された重い課題に速やかに、真剣に取り組むべきである。
太平洋戦争後、旧満州(中国東北部)から旧ソ連、モンゴルに移送され、飢えと寒さの下、強制労働に従事した軍人、軍属や民間人は約六十万人といわれる。移送先はシベリアを中心に、遠くウズベキスタンの首都タシケントに及ぶ。
国際法違反の疑いが強い捕虜の長期抑留、強制労働がなぜ行われたか未解明の部分が多い。独ソ戦で荒廃した国土復興に労働力を必要としたスターリンの指令によるとの説が有力だ。
戦後も恣意(しい)的な粛清で多数の自国民を強制労働させたことを思えば、説得力の強い推測である。責任は第一に旧ソ連にある。
しかし一九九三年、ソ連崩壊後のロシア国防省公文書館で発見された、日本の関東軍総司令官が極東ソ連軍総司令官に送ったとされる文書には、捕虜の日本将兵を旧満州でソ連軍の使役にと、申し出る文言があった。戦後の日ソ交渉での腰の引けた態度と相まって、日本の当局側も責任を免れない。
日本は旧ソ連に対し請求権を放棄したので元抑留者側は日本政府に補償を求め、裁判所は請求を退け続けてきた。今回の特別措置法は帰国の時期で金額に差を設け、補償的な意味合いもつけている。
これまでの国の姿勢と比べ、評価できる。ただし支給対象は、生存する元抑留者だけ。すでに他界した人や遺族にとっては、無念の思いをぬぐえないだろう。
一方、同法は抑留の実態調査、抑留中に亡くなった人々の遺骨収集について、政府に基本方針の策定を求めている。極めて重要な課題である。
終戦からすでに六十五年たつ。元抑留者たちも八十代の高齢者が目立つ。資料の再点検、強制労働の実態、現地で亡くなった人の状況や埋葬の場所などを生存者から聞き取る作業など、急がないと取り返しがつかない。
同時にロシアをはじめ関係諸国に、日本人抑留の実情についての情報を全面的に公開・提供するよう強く求めるべきである。
二〇〇三年度から、厚生労働省は収集遺骨などのDNA鑑定を行っている。すべてが同定できるとは限らないが、特定の人物の遺骨が確認できれば、遺族にとってはせめてもの慰めとなる。誠意を尽くす支援を求めたい。
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