HTTP/1.1 200 OK Date: Sat, 22 May 2010 23:15:40 GMT Server: Apache/2 Accept-Ranges: bytes Content-Type: text/html Connection: close Age: 0 東京新聞:牛は、人に身近な生き物だ。けれど、考えてみれば、日常目にす…:社説・コラム(TOKYO Web)
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【コラム】

筆洗

2010年5月23日

 牛は、人に身近な生き物だ。けれど、考えてみれば、日常目にするのは、スーパーの食料品売り場に並ぶパック入りのギューばかり。モーと鳴き、草などにれかむウシはこのごろ、ほとんど見ていない▼<うし/しんでくれた ぼくのために/そいではんばーぐになった/ありがとう うし>。先に小社が開いた生物多様性に関するシンポジウムで、谷川俊太郎さんが朗読した詩『しんでくれた』の一節だ。生き物の死が食べ物。そのことを私たちは、時折、忘れる▼宮崎県で発生した口蹄(こうてい)疫の感染が止まらない。避難させていた主力種牛の、そのまたエースまでが感染の疑いに。昨日は発生農家から十キロ圏内の牛、豚全頭を対象にワクチン接種も始まった▼感染しにくくなるが、これは牛や豚の命を救うためではない。もともと感染しても成長していれば致死率は低いという。結局、すべて殺処分される見込みで、その時間稼ぎのための接種なのだから切ない▼ある一日、処分用薬剤を百四十頭もの牛に注射し続けた獣医師の思いを西日本新聞が伝えていた。「子牛もいた。何のために生まれてきたんだろうと考えながら…」▼健康な牛まで殺処分するのは、畜産業全体や私たちの食生活を守るためだ。ギューにも<はんばーぐ>にもならない。でも、彼らが人のために生まれ人のために<しんでくれる>ことに違いはない。

 

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