HTTP/1.1 200 OK Date: Thu, 20 May 2010 00:14:12 GMT Server: Apache/2 Accept-Ranges: bytes Content-Type: text/html Connection: close Age: 0 東京新聞:歴史を振り返ると、百五十年前の日本は、激動の真っただ中だっ…:社説・コラム(TOKYO Web)
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【コラム】

筆洗

2010年5月20日

 歴史を振り返ると、百五十年前の日本は、激動の真っただ中だったことが分かる。日米修好通商条約の批准書交換に、使節団が米軍艦ポーハタン号に乗船し、サンフランシスコなどを経由してワシントンに到着したのは、一八六〇年五月十五日(新暦)だった▼外国奉行新見正興を正使とする使節団はブキャナン大統領に面会、国務長官と批准書を交換した。腰に二本の刀を差したサムライたちは、ニューヨークのマンハッタンなど各地で熱烈な歓迎を受けた▼使節団を護衛する名目で同時に派遣されたのが、勝海舟を艦長とし、福沢諭吉も乗船していた咸臨丸だ。約四十日間の航海中、海は大荒れで米国人の乗組員がいなければ、咸臨丸は太平洋を横断できなかったといわれている▼熱病なのか船酔いなのか、勝は体調不良で自室にこもったきりだった。使節団より咸臨丸の業績が有名なのは、明治維新に果たした勝の役割の大きさ故なのか▼航海中、桜田門外の変が起き、大老の井伊直弼が暗殺された。これを機に尊王攘夷(じょうい)運動が激化、維新に向かい歴史は激しく動いてゆく▼サンフランシスコには病死した咸臨丸の乗組員三人の墓地がある。作家の植松三十里さんは『咸臨丸、サンフランシスコにて』で、病が癒えず、現地に残留させられた乗組員の思いを書いた。歴史を陰で支えた無名の人たちの存在を忘れたくない。

 

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