HTTP/1.1 200 OK Date: Mon, 17 May 2010 20:15:48 GMT Server: Apache/2 Accept-Ranges: bytes Content-Type: text/html Connection: close Age: 0 東京新聞:六十五年前、沖縄本島に上陸した米軍が、日本軍と最初に激烈な…:社説・コラム(TOKYO Web)
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【コラム】

筆洗

2010年5月17日

 六十五年前、沖縄本島に上陸した米軍が、日本軍と最初に激烈な戦闘を繰り広げたのは、嘉数(かかず)高地だった。爆雷を抱えた日本兵の自爆攻撃などで、米軍は二十二台もの戦車を失った▼わずか十分の一の兵力で日本軍は頑強に抵抗。十六日間の戦闘の死傷者は日米合わせて約十万人ともいわれる。京都府出身の兵士が多く戦死したこの地に戦後、「京都の塔」が建てられた▼碑文には、こう書かれている。<京都出身の将兵二千五百三十有余の人びとが、郷土を想いつつ倒れた。また多くの沖縄住民も運命を共にされたことは、まことに哀惜にたえない>▼沖縄各地には、戦死した旧日本軍の将兵を慰霊する碑があるが、住民の被害に触れた慰霊碑は異例だという。物資の輸送などに従事していた嘉数の住民も、半数以上の三百人以上が命を失っていた▼いま、公園に整備された嘉数高地を上っていくと、米軍普天間飛行場を一望に見渡せる。住宅地を押しのけるように広がる基地を見ると、「世界一危険な基地」という言葉がリアルに感じられる▼普天間飛行場の早期返還と県内移設反対を訴える“人間の鎖”がきのう、飛行場を囲んだ。雨が降る中、主催者発表で一万七千人が参加した。鳩山政権の迷走は図らずも、沖縄への「無関心」という私たちの差別意識に気付かせてくれたようだ。それだけは功績といえるだろう。

 

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