タイの騒乱で、再び多数の死傷者が出た。犠牲が増えるにつれデモ隊内で強硬派が台頭しつつある。軍が強硬策に出れば、強硬派を勢いづかせるだけだ。流血でなく対話でしか、解決の道はない。
東南アジアきっての成長を遂げたタイの首都バンコクの街が、無残な戦場に化してしまった。
四年前の軍部クーデターで海外に亡命したタクシン元首相を支持するデモ隊が、現政府への抗議デモを始めて二カ月が過ぎた。
歌謡ショーなどを開きながら座り込み、のどかに見えたデモの様相は、先月の日本人カメラマンも犠牲になった流血を境に変質していた。
デモ隊の多くは、金権体質を批判されながらも手厚い貧困対策を進めた元首相の復権を望む貧しい農村の人々だ。
しかし、その指導者たちは一枚岩でなかった。参加者に犠牲者が出ると、強硬派指導者は、主流だった穏健派幹部を「臆病(おくびょう)者」と非難し、強硬派が発言力を増していった。強硬派は武力も持つ。タクシン元首相が抑えないうえ、包囲を狭める軍の強硬策も裏目に出たといえる。
穏健派幹部は、政府と「十一月に総選挙」で合意しかけたが、強硬派が治安責任者である副首相の警察署への出頭など新たな条件を次々とつけたため、交渉は行き詰まった。
さらに軍から造反してデモに加わっていた最強硬派で人気もある陸軍少将が何者かに狙撃された。強硬派は態度を硬化させ、穏健派の幹部四人はデモ隊を離脱した。
軍は強制排除の方針を示し、実弾使用を予告した。強硬派が主導権を握ったデモ隊は、女性や子どもらを前線で座り込みさせ、人間の盾にした。
流血が増えれば増えるほど、対立の根本である貧富の格差どころか、ぬぐえぬ憎しみを将来にまで残すだろう。解決はますます遠のいてしまう。
海外の企業進出が経済成長の原動力だった。四万人以上の日本人が在留する。全従業員を自宅待機にした日本企業も相次ぐ。外国投資が遠ざかれば大打撃だ。
米国務省のクローリー次官補は「双方とも一歩下がり、前進するための合意を」と忠告している。日本など国際社会が、双方に交渉再開を促す手段をとれぬものか。
これ以上の流血は、デモ隊にも政府にも、さらには事態の収拾を願う一般のタイの人々にも、国際社会にも悲劇でしかない。
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