高速増殖原型炉「もんじゅ」(福井県敦賀市)の運転が、十四年五カ月の時を経て再開された。再開後一週間は、相変わらずのトラブル続き。あまりに長い空白は、どうすれば埋められるのか。
一九九四年四月の初臨界から延べ半年間運転しただけで、ナトリウム漏れという危険なトラブルが発生し、事業者側の悪質な事故隠しが重なって、十四年五カ月の長い眠りを強いられた。そのもんじゅが再び目覚め、稼働した。
身の回りを見渡せば、もんじゅの休眠期間中、例えばテレビはブラウン管から液晶に、自動車はガソリンから電気へと、根本的な変化を遂げつつある。
十四年半の歳月は、風景を塗り替える。いかに入念に改良と点検を重ねてきたと言われても、「浦島太郎のようなもんじゅは大丈夫?」と不安になるのが、ごく当たり前の反応だろう。運営する日本原子力研究開発機構は、このような普通の人の普通の感覚を絶えず尊重せねばならない。
運転再開後も、放射能検出器の故障や制御棒の挿入ミスといったトラブルが、後を絶たない。
核分裂を抑制する制御棒の操作は、安全運転の根幹だ。事前研修に不備があり、運転員が操作方法を知らなかったというのは、驚くべきミスである。ヒューマンエラー(人為ミス)への懸念は、かねて指摘されていたことでもある。どれだけ理論や設備、操作手順が完璧(かんぺき)に近づこうとも、それを動かすのは、神ならぬ人間だ。
広報体制も適切とは言い難い。専門家と一般の間に横たわる安全認識の溝は、いまだ埋まってはいない。本当に安全なのか。事業者側には、常に自問自答が必要だ。
もう一つ、問うべきことがある。もんじゅは本当に必要なのか。燃やせば燃やすほど燃料が増える高速増殖炉は、エネルギー小国日本にとっては、夢の技術に違いない。だから「国策」とされてきた。だが、十四年半の歳月は世界情勢をも塗り替えた。核兵器のもとになるプルトニウムの増殖は核不拡散の時代に見合わない。世界の主流は、放射性廃棄物を逆に燃やして減らす「高速炉」に移っている。年間二百三十億円もの費用をかけて、四十年後までに商業運転を開始する“夢”は、そろばん勘定が合うのかどうか。三年間の性能試験で、国民とともに見極める姿勢が欠かせない。
空白を埋められるのは、結局、情報開示と対話以外にない。
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