HTTP/1.1 200 OK Date: Fri, 07 May 2010 20:14:10 GMT Server: Apache/2 Accept-Ranges: bytes Content-Type: text/html Connection: close Age: 0 東京新聞:水俣救済 最後の最後の一人まで:社説・コラム(TOKYO Web)
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【社説】

水俣救済 最後の最後の一人まで

2010年5月7日

 水俣病被害者に対する新たな救済策が決まり、公式に確認されて五十四年の一日から申請受付が始まった。政治的幕引きとの懸念も漂う中、最後の患者が救われるまで、水俣病は終わらない。

 「第二の政治決着」という。

 一九九五年、ときの村山内閣は、国の基準では水俣病と認定されない「被害者」約一万一千人に一時金や療養手当を支払って、救済する方針を打ち出した。あくまでも患者とは認めないが、一定の基準で金は出す。それが第一の政治決着だった。

 その後二〇〇四年の関西訴訟最高裁判決で、すみやかな対策を怠って被害を拡大させた国などの責任が認められ、国より大幅に緩やかな患者認定基準が示された。

 ところが国はそれを受け入れず、再び妥協案として持ち出されたのが今回の特別措置法による救済策にほかならない。あいまいな根拠に基づく急場しのぎの政治決着が繰り返されたのである。

 一律二百十万円の一時金と月一万七千七百円までの療養手当、患者三団体には計三十一億円余の団体加算金を出す。三万五千人以上が対象になる見込みという。

 申請の受付期間を九五年の三倍以上に延ばし、対象になる症状を増やすなど救済漏れを防ごうとする配慮はうかがえる。だが、患者としての認定基準はあくまでも変わらない。認定申請の取り下げが救済の条件であることも。

 原因企業のチッソには分社化により責任を清算し、同社会長が社内報に記した「水俣病の桎梏(しっこく)」から解放される道も開かれた。

 十万とも二十万ともいわれる潜在患者を探し出す、不知火海沿岸の大規模な健康調査はしない。

 鳩山由紀夫首相は慰霊式で「水俣病問題が、これで終わるとは思っていない」と祈りの言葉を述べた。だが、これ以上「患者」を増やさないという国の基本方針は変わらないようにもみえる。

 「記憶と祈り。それを呼び掛けてきた」。水俣病患者の漁師、緒方正人さんの言葉である。患者、被害者の多くは忘却と風化を恐れている。風化によって、過ちが繰り返されることを。

 患者はいまこの瞬間も激痛やたとえようのない不自由、過去に受けた偏見という苦しみと戦っている。水俣病の解決は金銭だけでは図れない。

 病気の正体があきらかになり、最後の患者が名乗りを上げチッソや国が責任を全うするまで、事件はなお進行形である。

 

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