こいのぼりを泳がせてみるために、一年の成長を柱に刻んでおくために、ヒーローとは何かを話し合ってみるために、こどもの日は国民の祝日なんだ。
木製品が売り物のインテリアショップの店先に、ユニークな商品の束が立て掛けてありました。
五センチごとに目盛りを刻んだ長細い薄い板。商品の名は「せいくらべ」。画びょうで壁に留められるようになっていて、二メートルまで背たけを測れます。
◆まなざしを重ね合い
スギやクリ、山桜、クルミなど、材質はさまざまで、色合いや肌触りなども微妙に違います。ひとつ九千八百円と、決して安くはありません。が、こどもの日の前後だけでなく、誕生や入学のお祝いなどに、一年を通じて結構売れているそうです。
平安時代初期に書かれた「伊勢物語」にも、背比べの歌が表れて、樋口一葉の名作「たけくらべ」の題名の元になったと、いわれています。
「筒井つの 井筒にかけし まろがたけ 過ぎにけらしな 妹見ざるまに」
「筒井」は丸く掘った井戸。「井筒」はその縁を保護する囲い。「井筒の高さと比べて遊んだ私の背たけも、あなたと逢(あ)えないでいるうちに、随分高くなったでしょう」。幼なじみだけに通じる求愛の歌として。
昔も今も、目まぐるしくうつろう季節の中で、子どもと子ども、親と子が、まなざしを重ね合い、ぬくもりを確かめ合う時間。背比べのようなひとときは、例えば親子という関係を熟成させるためには欠かせない、特別な時間なのかもしれません。
愛知県児童総合センター顧問の田嶋茂典さんは「子どもと大人が、対等に共感し合えることが大切なんだ」と考えます。
共感を結ぶには、上手か下手か、好きか嫌いか、強いか弱いか、意味がわかるかわからんか、そんなのすべて関係なく、同じ時間を同じ気持ちで過ごせることが一番大事。そうなるためのきっかけが、一緒に遊ぶことなんだと。
「大人たちの“ヘーッ”“ホーッ”“オーッ”という息づかいは、きっと子どもたちにも伝わります。大人が楽しいと子どもはうれしい。そのうれしさを糧にして、子どもは前に進みます」
田嶋さんは、うれしそうに話します。インテリアショップの「せいくらべ」もつまり、共感の物差しなのかもしれません。
田嶋さんがいう共感とは多分、大人が子どもを一方的に理解して、支えることではありません。
◆大人たちへの応援歌
昨年暮れの紅白歌合戦。ファンキーモンキーベイビーズという名の男性三人組が歌った「ヒーロー」は、まさしく“ヘーッ”“ホーッ”“オーッ”でした。
駅の改札を抜けたとたんに「いつもよりちょっと勇敢なお父さん」。それがヒーロー。家族のために人知れず職場で戦うお父さんに、照れながら感謝を送る応援歌。大人社会へのありふれた反抗ではなく、適度な共感がにじんでいます。
ウルトラマンのように巨大ではなく、仮面ライダーみたいに変身はできません。でも、家族とともに日々を生き抜くお父さんやお母さんこそ、等身大のヒーローなんだと、子どもたちも、どこかで感じているはずです。
「繰り返す毎日の中にも/色(いろ)んなことあるんだぜ父さん/Do it/人知れずに世の中へファイティングポーズ」
政治の腰が据わらないから、家計は首が回らない。地球温暖化は進んでも、就職氷河期は終わらない。天下り官僚の高笑いはやまないが、リストラの涙は止めどない。工場は海外へ逃げて行くのに、米軍は出て行かない。食料や資源は先細りだが、国の借金は膨らみ続け、生き物のすみかが縮小しても、核兵器は拡散し、海の向こうの戦争は、いつまでたってもなくならない。
しかし、現実を前にして、どれだけ無力を感じても、どんなにかっこ悪くても、不合理や不正に対し、心の中でファイティングポーズをとることだけは忘れない−。
◆風薫る明日のために
「親子という言葉見るとき 子ではなく 親の側なる自分に気づく」
とりあえず、あす一日は、いつもの垣根を取り払い、柱の隅に、適当な柱がなければ「せいくらべ」の目盛りの中に、それぞれの“ヘーッ”を刻んでみませんか。
風薫る青葉の候。子どもたちとの新しい関係が、また次の日から始まるように。
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