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【社説】

週のはじめに考える サラリーマンを議会へ

2010年4月25日

 地方自治を見直そうという動きが活発です。サラリーマンが地方議会の議員になるぐらいの仕組みがほしいという意見もあります。主役は皆さんです。

 まず地方自治が憲法にどう書かれているのか見てみましょう。

 九二条「地方公共団体の組織及(およ)び運営に関する事項は、地方自治の本旨に基(もとづ)いて、法律でこれを定める」

◆憲法のいう「本旨」とは

 ここで頭を悩ますのは「地方自治の本旨」とは何かです。政治学者の辻清明氏などは、試しにこの部分を抜いて読んでご覧なさい、なんて言っていました。抜いて読むなら、法律は国会がつくるのだから、地方自治は政府与党の思い通り、中央集権型にもできる、だから「本旨に基いて」という文言は短いが重要だと説きました。

 本旨は原理原則、また主義を言い、憲法の英文ではプリンシプルが当てられています。明治憲法になくて現日本国憲法に加わった章目に、戦争放棄と地方自治があります。そう言うと地方自治は米国からの移植のようにも見られますが、地方自治また住民自治と呼ぶべきものは、世界のどこでも協調的かつ実効的地域運営として根付き、また発展してきたものなのではないでしょうか。

 日本なら江戸時代の庄屋・組頭・百姓代の村方三役を中心とした村政などが該当するでしょう。西洋なら教会の鐘の音の聞こえるぐらいの範囲、これは教区(パリッシュ)と呼びますが、その町での小さな民主主義が知られます。

 なぜそういうものが発達してきたのかというと、地域を最も知る者は国などの上部機関ではなく、地域の住民であり、地域にはそれぞれに固有の産業も文化もあるからです。国から地方へ、と言いますが、歴史にならえば当然のことであり、住民の意思を反映して自治を行うのが首長と議会です。

◆「議会とはうまくやる」

 ここで、ちょっと生臭いはなしをしてみましょう。

 ある中型都市の元幹部にかつて聞いたことがありました。市役所は議会とどういうふうに付き合ってきたのか。

 返事はこうでした。「市長を役所側の人間、まあ助役あたりから出す。選挙で当選すれば、あとは議会とうまくやる。予算は予定通りに通らないと、役所は困るし市民生活だって滞りますからね…」

 少なからぬ自治体がこんなふうだったかもしれません。議員の質問も首長の答弁も役所の作文の読み上げというのは、つまりこういうことです。自治は役人の仕事になっているのです。

 北海道夕張市の“破産”時、財政の監視役の議会は一体何をしていたのかと非難されましたが、市も議会も腐っていたわけです。

 元鳥取県知事で慶大教授の片山善博氏は少し前の著書「市民社会と地方自治」(慶応義塾大学出版会)の中で、サラリーマンが地方議会の議員をつとめられるようにすべきだ、と述べていました。市町村民税の約八割を納める給与所得者から議員が出るべきだが、今の雇用環境では会社を辞めなくてはならないし、議会も参加しやすい仕組みに変えられないか、という提案でした。

 自治体の規模にもよりますが、人口の少ない市町村では案外可能なのかもしれません。米国では夜の地方議会がありますし、議会ではありませんが、名古屋の学区単位で試行の地域委員会は住民委員と傍聴者のため、夜や週末に開催しています。国政は外交安保といった大きな政治を行い、市町村は住民が自分たちの税の使途を自分たちで決める。これぞ自治の本旨にかなうでしょう。

 地方議会改革は各地で進んでいます。財政破綻(はたん)した夕張市の隣の栗山町は、議会のネット中継と報告会を始めました。情報公開は自治を住民の手に取り戻す有効な手段です。サラリーマンや主婦、お年寄り代表も議会に送り込めればいいのですが、その前に情報公開こそ徹底したいものです。知る仕組みが大事なのです。

 繰り返すようですが、自治とはおそらく人類普遍の原理です。話を広げれば、二十世紀、全体主義国家は統一の名の下に住民から自治をはく奪しました。独裁者ムソリーニに投獄された思想家グラムシは獄中、哲学や芸術、それに奪われた市民社会をノートに記したのでした。

◆歴史動かした住民自治

 冷戦下の東欧では、伝統的な住民自治が新たな力をためて、ベルリンの壁崩壊へと向かいました。東独ライプチヒでは、毎月曜の夕刻、ミサのあとの教会から出発した小さなデモがやがて数十万人規模に拡大したのでした。ポーランドの「連帯」も同様です。小さな力だが歴史をも揺すぶる。これも自治の本旨の一部ではないのでしょうか。

 

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