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京菓子の「遊び心」を、ある老舗(しにせ)の主人から聞いたことがある。その店では、たとえば桜餅は3月の初旬から作り出す。ごく淡い桜色から始めて、春がたけるにつれて日々紅(べに)を濃くしていくそうだ▼最後は花の散りきった今ごろになる。真っ白な桜餅を3日間作って「花供養」とし、春を終わらせるのだという。雅(みやび)やかなその話を、先日の多田富雄さんの訃報(ふほう)にふと思い出した。世界的な免疫学者で能楽にも通じていた多田さんには、「花供養」という新作能がある▼この花は桜ではなく白椿(つばき)。随筆家の故白洲正子さんを偲(しの)び、慕う能である。晩年に親交を結んだ白洲さんは12年前に亡くなり、2年半後には多田さんが脳梗塞(こうそく)に倒れた。声を失い半身も不随の中、左手指1本でパソコンを打ち、刻むように書き下ろした▼白洲さんとは深いところで響きあったそうだ。対談で、「生きているというのは、体の中に死を育てている」ことだと、科学者としての死生観を語ってもいる。能作者としての無常観であったかもしれない(『花供養』藤原書店)▼しかし悲観論者ではなかった。倒れてのちも、「歩くことをやめると惨めな死が待っている」と詩を作り文を書いた。だから小泉内閣の「リハビリ日数制限策」には「人間の切り捨て」だと怒りをたぎらせた。40万を超す反対の署名を集めもした▼「花は落ちて跡もなし。幻の花は失(う)せにけり」。能の「花供養」はこんな地謡(じうたい)で結ばれている。病から放たれて碩学(せきがく)は去り、いま、自らが幻の花となって幽玄の世界に遊ぶころだろうか。