東京・日比谷公園にある洋風レストラン「松本楼」は二度焼失している。最初は一九二三年の関東大震災。二度目は七一年秋、沖縄返還協定に反対する学生のデモ隊に火炎瓶を投げられて全焼した▼全国から励ましの声が届き、再開にこぎつけたのは二年後の九月二十五日。感謝の思いで始めた年に一回の「十円カレー」は、いまも秋の風物詩だ▼松本楼が焼かれる直前、沖縄の米軍の軍用地の原状回復費四百万ドルなどを日本側が肩代わりするという密約が日米間で結ばれた。これらの密約文書の不開示取り消し訴訟で画期的な判決が言い渡された▼東京地裁は一昨日、密約文書の存在を認めたうえで、否定し続けた外務省の対応を「国民の知る権利をないがしろにしている」と批判した。国を訴えた行政訴訟では異例の原告完全勝訴だ▼「原告が求めたのは文書ではなく知る権利の実現だった」とも判決は強調。くしくも松本楼で開かれた原告団の記者会見では「情報革命が起こった」(原告の元毎日新聞記者の西山太吉さん)と評価する声が相次いだ▼密約疑惑を追及していた西山さんの逮捕は、検察によって男女スキャンダルにすり替えられ、メディアの密約の追及はうやむやになった。「メディアの敗北」といわれるゆえんだ。政府が隠したい秘密を暴くことこそジャーナリズムの存在価値であることを肝に銘じたい。