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タイの首都バンコクで、タクシン元首相を支持するデモ隊と治安部隊が衝突し、流血の大惨事となった。
取材していたロイター通信日本支局のカメラマン村本博之さんをはじめ20人以上が亡くなった。死傷者は900人近くに達する。
赤シャツ姿のデモ隊は1カ月前から抗議行動を始め、総選挙の実施をアピシット首相に要求してきた。タイ正月を前に、政権が軍を動員して強硬策に踏み切ったことが裏目に出た。
アピシット政権は武力を頼まない方法で首都の治安回復に全力を挙げてもらいたい。日本政府と協力して村本さんの死因も徹底調査すべきだ。
それにしても、「ほほ笑みの国」といわれるこの国に刻まれた亀裂の深さに、将来への不安が募る。
タクシン元首相派と反タクシン派はこの10年近く、対立を繰り返してきた。タクシン氏は2001年に政権を取り、市場経済主義への対応や貧困対策に積極的だった。その支持層は東北部や都市の貧困層が中心だ。
しかし金権腐敗体質や独裁的な姿勢への批判が広がり、06年の軍事クーデターにつながった。反タクシン派の支持層には官僚や王室周辺のエリート、都市中間層が目立つ。
経済成長による富が首都に一極集中し、貧富の格差が進む。対立の背景には新興国共通の矛盾も見える。
政治的な意見対立は、議会を中心に選挙や言論活動などを通じて解決を図るのが近代国家のあるべき姿だろう。
ところがこの国では近年、総選挙でタクシン派が勝利すると、黄シャツ姿の反タクシン派が空港を占拠。これに対抗する元首相が海外から支持者に抗議行動を呼びかけるなど、議会の外で政治を変えようとしてきた。
大衆行動やクーデターが歴代政権の土台を揺るがす。それは、タイの立憲体制と統治の正統性が危機にさらされていることにほかならない。
政治対立を仲裁してきたプミポン国王も高齢となり、そうした役割は期待できまい。08年に発足したアピシット政権は選挙の洗礼を受けていない。回り道なようでも総選挙を早期に実施し、正統性のある政権を樹立することが、混乱収拾への第一歩だろう。
タイは東南アジア諸国連合(ASEAN)の中核であり、ASEANは東アジア地域と米国、ロシアとの連携強化に乗り出そうとしている。西の隣国ミャンマー(ビルマ)の民主化を促す上でもこの国の役割は大きい。
自動車をはじめ製造業が集中し、ASEAN経済の核でもある。多くの日本人と日系企業が活動している。
鳩山政権がアジア外交を展開するうえで、タイの協力は欠かせない。この危機を、遠い出来事として軽く考えるべきではない。
希代の喜劇作家。現代の戯作者(げさくしゃ)。博覧強記の知恵袋。時代の観察者。平和憲法のために行動する文化人。
井上ひさしさんを言い表す言葉は、幾通りも思い浮かぶ。だが、多面的なその活動を貫いた背骨は一つ。自分の目で見て、自分の頭で考え、平易な言葉で世に問う姿勢だ。
本や芝居は、深いテーマを持っているのにどれも読みやすく、わかりやすい。それは、ことの本質を掘り出して、丁寧に磨き、一番ふさわしい言葉と語り口を選んで、私たちに手渡していたからだ。
そのために、できる限りたくさんの資料を集め、よく読み、考えた。途方もない労力をかけて、自分自身で世界や歴史の骨組みや仕組みを見極めようとしていた。
この流儀は、井上さんの歩んだ道と無縁ではないだろう。
生まれは1934年。左翼運動に加わっていた父を5歳で亡くし、敗戦を10歳で体験した。戦後の伸びやかな空気の中で少年時代を過ごすが、高校へは養護施設から通った。文筆修業の場は、懸賞金狙いの投稿と浅草のストリップ劇場。まだ新興メディアだったテレビ台本で仕事を始め、劇作家としては、デビュー当時はまだ傍流とされていた喜劇に賭けた。
王道をゆくエリートではない。時代の波に揺られる民衆の中から生まれた作家だ。だからこそ、誤った大波がきた時、心ならずもそれに流されたり、その波に乗って間違いをしでかしたりしないためには、目と頭を鍛えなければならない、歴史に学ばなければならないと考え、それを説き、実践した。
特に、あの戦争は何だったのかを、繰り返し、問い続けた。
復員した青年を主人公に、BC級戦犯の問題を書いた「闇に咲く花」という芝居に、こんなせりふがある。
「起こったことを忘れてはいけない。忘れたふりは、なおいけない」
井上さんは2001年から06年にかけて、庶民の戦争責任を考える戯曲を3本、東京の新国立劇場に書き下ろした。名付けて「東京裁判3部作」。
東京裁判を、井上さんは〈瑕(きず)のある宝石〉と呼び、裁判に提出された機密資料によって隠された歴史を知ることができたことを評価している。
同劇場は、8日から、この3部作の連続公演を始めたところだ。その翌日、拍手に包まれて幕が下りた直後に、井上さんは旅立った。
〈いつまでも過去を軽んじていると、やがて私たちは未来から軽んじられることになるだろう〉。公演に寄せた作者の言葉が、遺言になった。
生涯かけて築いたのは、広大な言葉の宇宙。そこにきらめく星座は、人々を楽しませてくれる。そして、旅する時の目当てにもなる。