旧字というのは画数が多くてややこしいが、それならではの遊びも生まれたようだ▼例えば恋の旧字を解いた、こんな都々逸があったそうな。<戀という字を分析すれば、いとしいとしという心>。なるほど、確かに「糸」し「糸」しと「言」う「心」である▼では、旧制高校から生まれた戯(ざ)れ歌にあるという<二階の女が気にかかる>とは何の字か。「貝」「貝」(ニカイ)の「女」が「木」にかかる。ご明察。桜の旧字「櫻」である(池田弥三郎『日本故事物語』)▼その桜、今年は存外シーズンが長く、山間部の名所はもちろんのこと、平野部でもまだ花見に間に合いそうだ。もっとも、既に散り始めている所も多く、列島各地はこの日曜日、遅くとも週明け辺りから天気が崩れるとの予報。急いだ方がいいかもしれない▼親鸞の作と伝わる歌にもある。<明日ありと思ふ心のあだ桜夜半(よは)に嵐の吹かぬものかは>。これは、だが、本当は道歌であろう。ラテン語の最も名高い警句の一つ、<カルペ・ディエム>(その日をつかめ)にも通じ、今を生きよ、今日という日を大事にせよの教えかと思う▼何かを面倒がって、今日やらずに「明日やる」と一日延ばしにしたことで、痛い目に遭った苦い経験のあれこれを思い返す。ああ、わが人生のあだ桜の数々…。芭蕉翁じゃないが<さまざまの事おもひ出す桜かな>である。