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オバマ米大統領が、核戦略について英断を下した。
米紙との会見で、核不拡散条約(NPT)を順守する非核国に対しては核攻撃をしない方針を明らかにした。通常兵器はもちろん、生物・化学兵器による攻撃やサイバー攻撃に対しても、原則として核による報復攻撃をしない。核の役割を縮小する転換である。最新の核戦略見直しの柱の一つだ。
同盟国を核抑止で守ることは「核の傘」と呼ばれる。これに対し、非核国を核攻撃しないと保証することは「非核の傘」とも言うべき、新たな安全保障政策である。
米国はこれまで、核兵器を持つ国はもとより、その同盟国も「非核の傘」の外に置いてきた。オバマ新戦略によると、これからはNPT加盟の180カ国以上の非核国が対象となる。「非核の傘」が広がることで、NPTの一員として条約を順守する利点もはっきりする。非核を徹底すれば安全もより確かになる、という考えを根づかせる力になろう。
今後の大きな課題は、米国以外の核保有国を同調させて、「非核の傘」を世界標準にできるかどうかだ。
今のところ、ロシアは非核国に対しても核使用を辞さないというのが基本戦略だ。北大西洋条約機構(NATO)に比べて通常戦力で劣るロシアの態度は硬い。まずはNATOが、オバマ新戦略に合わせるのが得策だろう。NATOメンバーである英仏もそれに賛同したうえで、より包括的な軍縮、安全保障協議を進め、ロシアも「非核の傘」を広げるよう、促すべきだ。
中国は、核の先制使用はしないとの立場を繰り返し表明している。真剣な戦略であるなら、オバマ大統領に同調して、「非核の傘」を広げる外交を積極的に展開すべきだろう。12、13日にワシントンで開催される核保安首脳会議には、胡錦濤(フー・チンタオ)国家主席も参加する。主要テーマは核テロ防止だが、米中首脳会談を開き、非核国への核不使用の徹底についても話し合ってはどうか。
核戦略見直しの過程では、核攻撃の抑止を核兵器の「唯一の目的」とする方針も検討された。しかし、そこまで目的を限定すると、北朝鮮やイランなどの非核兵器に対する抑止力が弱まるとの国防総省の慎重論もあり、見送られた。
日豪主導の国際賢人会議は昨年12月、2012年までにすべての核保有国が「唯一の目的」宣言をするよう提言している。12年が無理でも、できるだけ早期の宣言を促している。
オバマ新戦略は画期的な一歩だが、ここで立ち止まらせてはならない。日本は、核の役割をさらに軽減して核軍縮を進めていくために、核保有国が「唯一の目的」宣言に向かうよう、外交努力を強めていくべきである。
60年安保の翌年、いまや「歴史」として語られようという時代に、三重県の山里でその事件は起きた。
名張毒ブドウ酒事件の再審請求審で、最高裁が審理を名古屋高裁に差し戻した。犯行に使われたブドウ酒に入っていた毒物の成分分析の検討が不十分で、裁判をやり直すかどうか、結論を出すだけの事実の解明がいまだなされていないという判断だ。
7度目となる今回の再審請求からでも8年。多くの時間が流れたのに決着に至らない。死刑囚として拘置されたままの元被告の人権、裁判への信頼を考えたとき、見過ごせない事態だ。
もちろん拙速で処理していい話ではない。究極の刑罰である死刑を維持するのか否かという重大な岐路だ。5人の最高裁判事がぎりぎりまで議論し、さらに審理を尽くすべきだとの結論に至ったのであれば、それを尊重するほかない。それでもなお、この混迷は深刻と言わざるを得ない。
再審を認めなかった名古屋高裁決定を改めて読むと、「あり得ないことではないと考えられる」「毒物がAでなかった可能性は否定できないが、Aであった可能性も十分にある」といった持って回った表現が目につく。
焦点は半世紀前の毒物をめぐる論争であり、困難はあっただろう。だが、最高裁が指摘するように、科学的知見に基づかず、あいまいな論拠で推論をつないだ感があるのは否めない。弁護側が「無罪であることを我々が立証しない限り、再審の扉は開かないのか」と反発したのも無理はない。
今回の最高裁決定は慎重かつ中立的な表現で貫かれており、今後の行方を軽々に予測することはできない。一方で決定は、差し戻し審でどのような証拠調べをするべきか、その対象や段取りまで具体的に書き込んでいる。これまでに費やした時間、84歳という元被告の年齢や健康状態などを考え、迅速な審理を高裁に指示したといえよう。当然の措置であり、検察、弁護双方にも最大限の努力を求めたい。
シェークスピアは、世の中の耐え難いものとして、戯曲「ハムレット」の主人公の口を借りて、権力の不正や役人の横暴などとあわせ、長すぎる裁判をあげた。
これを古今東西に通じる人類普遍の病理などと言ってはいられない。権利を脅かされたり争いが生じたりしたときに、救済や解決のため最後に頼るのは司法しかない。公平で迅速な裁判を受ける権利は、憲法が保障する大切な人権のひとつである。
関係者はそのことを胸に刻み、今度こそ混迷に終止符を打ってもらいたい。そしてその際、忘れてはならないのは、「疑わしきは被告人の利益に」という、多くの冤罪や失敗の上に到達した私たちの英知である。