HTTP/1.1 200 OK Date: Fri, 02 Apr 2010 20:15:01 GMT Server: Apache/2 Accept-Ranges: bytes Content-Type: text/html Connection: close Age: 0 東京新聞:時効になった警察庁長官銃撃事件。冤罪(えんざい)だったこと…:社説・コラム(TOKYO Web)
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【コラム】

筆洗

2010年4月2日

 時効になった警察庁長官銃撃事件。冤罪(えんざい)だったことが確定した足利事件。最近新聞をにぎわせた、この二つには共通点がある▼一方は犯人を捕まえられず、他方は無実の人を捕まえた。ある意味、両極端ではあるが、ともに警察が最も避けなくてはならない「失敗」が象徴されているという点では同じだろう▼ただ、決定的に違うこともある。警察庁長官の事件は、時効ギリギリまで捜査が行われたはずだ。捜査当局者が立件できなかった個人や団体の犯行説まで言い立てた、あの不可思議な釈明からも、それはうかがえる▼だが、同じく既に時効になっている足利事件は違う。菅家利和さんの犯行として「解決した」ことにされたことで、本来費やされるべきだった捜査時間が奪われてしまった。一時、やはり菅家さんの仕業とされた別の事件もしかり▼事件の被害者や家族にとって、犯人が捕まることは一つの救いに違いない。「憎むべき相手」を得ることが被害者側の心の平衡を支える面もあろう。ならば、一つの冤罪が晴れるとは、被害者側が“支え”を奪われることでもある。しかも、今まで憎んできた相手は実は同情すべき冤罪の「被害者」…。その心情を、察する▼ギリギリまで捜査しての時効でも冤罪の陰で完成してしまった時効でも結局、真犯人が不明なのは同じ。けれど、その罪深さは比ぶべくもない。

 

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