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4月2日付 編集手帳

 〈踏めりしは死体のいづこなりしやとこよひ高熱のこころ凍るを〉。死体を踏んで歩いた、その感触が足裏に残る。あれは腕であったか、顔であったか…◆歌人の竹山広さんは25歳のとき、結核で入院していた長崎市内の病院で被爆した。安否の知れぬ兄を捜し、地獄絵図のなかをさまよったときの記憶だろう◆〈面倒なことだが孫よ人間はベッドでひとりひとり死ぬのだ〉。歌の背後に、ベッドで死ねなかった無数の人々がいる。告発も、あらわな怒りもないだけに、悲しみはいっそう深く染みとおる。竹山さんが90歳で死去した◆どの歌も、声に出して読んでみたい流れる調べのなかに、しんとした静けさがある。たとえば、〈わが傘を持ち去りし者に十倍の罰を空想しつつ()れてきぬ〉、あるいは〈ヨン様がゐぬチャンネルに切り替ふる心のせまき老人われは〉といった、諧謔(かいぎゃく)に富む歌の場合もそうである◆サクラの季節に逝った人に、その花を詠んだ歌があった。〈さくらよりさくらに歩みつつおもふ悔恨ふかくひとは滅びむ〉。人間の愚かさが行き着く果てを見届けた人だけが持ち合わせる静けさだろう。

2010年4月2日01時32分  読売新聞)
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