HTTP/1.0 200 OK Server: Apache Content-Length: 58896 Content-Type: text/html ETag: "f5236-1240-164d0a40" Expires: Wed, 31 Mar 2010 03:21:48 GMT Cache-Control: max-age=0, no-cache Pragma: no-cache Date: Wed, 31 Mar 2010 03:21:48 GMT Connection: close 3月31日付 編集手帳 : 社説・コラム : YOMIURI ONLINE(読売新聞)



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3月31日付 編集手帳

 寺山修司に、“傷”を詠んだ若き日の歌がある。〈ラグビーの頬傷(ほおきず)は野で癒ゆるべし自由をすでに()じぬわれらに〉。ラグビーの頬傷に限るまい。薬を塗るでなく、包帯を巻くでなく、ひとりじっと、野で癒やすべき傷がある◆凶悪犯を逮捕できず、無念の時効を迎えた捜査機関がみずからの「威信」に負う傷もそうだろう。悔恨をかみしめ、教訓を()み取り、これからの捜査という荒野で癒やしていくしかない◆時効が成立した警察庁長官銃撃事件で、警視庁の公安部長が記者会見し、オウム真理教の組織的テロと断定した。それならば捕まえればいいものを、確証は得られなかったらしい◆犯人逮捕に至らなかった以上は、何を言っても“繰り言”であり、確証もなしに犯人を名指しした理由が分からない。「あと一歩まで追い詰めたのですね。長い間、ご苦労さまでした」というねぎらいの言葉で傷を癒やすつもりならば、甘えている。敵は憎まれ者、多少の常識外れも世間は許してくれる。そう考えたのならば怖い甘えである◆あの記者会見で、警察の威信が負った傷が癒えるとは思えない。化膿(かのう)するだろう。

2010年3月31日01時25分  読売新聞)
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