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若くして死んだ樋口一葉はこまめに日記を書いた。窮乏にあえいではいたが、暮らしは清らかで、曲がった道は歩いていないという自負をうかがわせている。「我に罪なければ、天地(あめつち)おそろしからず」。そんな一言が日記の中にある▼菅家利和さん(63)にも罪などなかった。おそろしいものはないはずだった。だが天地ではなく、「人」が善良な市民に牙をむいた。女児が殺害された足利事件の犯人に仕立てられ、17年半が鉄格子に消えた。長い歳月である▼その再審できのう、無罪が言い渡された。菅家さんが天地神明に誓い続けた「真っ白な無罪」である。3人の裁判官は立ち上がって、深々と頭を下げて謝罪した。「この裁判に込められた菅家さんの思いを深く胸に刻みます」の言葉を、司法の良心と信じたい▼「潔白だから分かってもらえる」というのが、ごく素朴な市民感覚かもしれない。しかし菅家さんは踏みにじられた。再審では冤罪がなぜ起きたかの解明も求めたが、かなわなかった。これではまだ、奪われた歳月に報いたとはいえない▼きのうが命日だった室生犀星の詩の一節が胸をよぎる。〈悔(くい)のない一日をおくることも/容易ならざる光栄である〉。人間らしい光栄を、無実の罪で獄中に長く封じられた悔しさは、想像に余りある▼「今後の人生に幸多きことを心よりお祈りします」と法廷で裁判長は述べた。この日、菅家さんは泣き、そして笑った。「冤罪は私で終わりに」は涙で声が詰まった。裁判員になる可能性のある一人として、姿を胸に刻みつける。