イラク戦争が二十日で開戦七年になる。二度目の連邦議会選挙を経て国家建設への道筋は見えたが、国際社会が抱えるテロの脅威は拡散するばかりだ。あらためて戦争の悲惨さに思いを致したい。
イラク連邦議会選挙の開票は徐々に進み、マリキ首相率いる「法治国家連合」、アラウィ元暫定政府首相派の「イラキーヤ」の優位が伝えられている。集計後の政権の行方は予断を許さないが、かつての流血の宗派抗争のような混乱に陥ることなく選挙が推移したこと自体、民主化への一定の手応えを物語っている。
石油資源の権限配分をはじめ、重要な政治的課題がこれを機に解決へ向け民主的なプロセスに乗るとすれば、イラク国民にとって平和な日常回復への大きな節目となろう。
八月末までの戦闘部隊撤収という米軍の出口戦略に沿い、イラク政府自身による秩序維持能力が、早期に持続可能なレベルに達することを期待したい。
しかし、あらためて問わざるを得ないのは、イラク戦争、そしてそれに先立つアフガニスタン戦争以来、米国内のみならず、国際的にテロの脅威が軽減したのか、さらには、大規模テロの再発懸念が緩和されたのか、という点だ。
イラク戦争は、国連決議を得ないまま、ブッシュ前政権が単独主義のもとに踏み切った。主たる開戦理由だった大量破壊兵器の存在は、情報自体が誤りであったことが証明され、「独裁者の排除」や「中東の民主化」という「大義」は後付けの理由だった。
国家とテロ組織などとの非対称の戦いに対して、従来型の戦争は有効な抑止力たり得ないことは冷戦後の民族、地域紛争の教訓だ。
アフガン戦争ではタリバン勢力の核保有国パキスタンへの浸透が懸念されている。アフリカ諸国では潜行するテロ組織が国家混乱に乗じるように相次いで政治的影響力を強め、新たなテロの温床が広がっている。
米国は、オバマ政権になって武力一辺倒の政策を転換した。いまだ期待通りの成果にはつながっていないとはいえ、広く「イスラムとの対話」を掲げ、時間をかけて個別に外交手段を尽くす姿勢は妥当といえる。ソフトパワーをも活用するのが本来の姿ではないのか。
時代錯誤的な挑発に戦争という最終手段で対応するだけでは、テロの脅威も民族的憎悪も拡散するばかりだ。
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